『ルドルフ・シュタイナー、希望のある読書』2021年7月5日(月)71回 ― 2021年07月05日
R・シュタイナー著『自由の哲学』(高橋巌訳、ちくま学芸文庫)、今井重孝著『シュタイナー「自由の哲学」入門』(イザラ書房)を読み進めています。今回9回目となります。
今回は、『自由の哲学』のP123~130「第六章 人間の個体性」を読みます。そして、今井重孝著『シュタイナー「自由の哲学」入門』のP48~50を参考文献としておさえておきます。
今回の「第六章 人間の個体性」を理解しやすくする為に、キーワード、キーセンテンスに着目しながら見ていきたいと思います。
「表象を解釈する」、「外なる事物」、「同じひとつの世界」、「主観としての私」、「知覚するのは世界の一断面」、「宇宙全体の出来事」、「知覚対象としての私」、「皮膚の中に潜んでいるものは全体としての宇宙の一部分」、「私の生体と外なる対象とを関連づける」、「封蝋に印象を刻印づける」、「私の精神に印象を刻印づける」、「十歩先の樹木についての知識」、「見当外れの問い」、「私の肉体の境界が絶対的な間じきり」、「事物から私の中へ情報が伝わってくる」、「私の皮膚の内部に働く力」、「外界に働く力」、「私もひとつの事物」、「知覚主体としての私」、「宇宙事象の一部分としての私」、「樹木の知覚内容と私の自我とは同じ全体の中に存在している。」、「宇宙のこの普遍的事象」、「樹木という知覚内容」、「私の自我という知覚内容」、「宇宙を認識する」、「宇宙を創造する」、「客観と主観(知覚内容と自我)」、「ひとつの行為の中で生じる」、「互いに相手を条件づけている」、「関連し合ったこの二つの本質存在の共通点」、「思考によるのでなければ見出すことができない。」、「思考だけが概念を通して、この両者を互いに関係づけている。」
p123~124半ばまで上記キーセンテンスをひろってみた。「思考」という重要なキーワードに行き着いた。
次にシュタイナーは生理学的な視点から知覚と表象の関係について検討する。しかし、
「…生理学上の事実は、知覚と表象との関係について何も明らかにしてくれないのである。われわれは別の仕方で正しい道を見出さなければならない。」(p125)とある。
そして、p125 ~
「ひとつの知覚内容が私の観察地平の上に立ち現れる瞬間に、思考もまた私の中で働き始める。私の思考組織に組み込まれている直観や概念がこの知覚内容と結びつく。この知覚内容が私の視界から消えてしまうと、後に何が残るのか。それは知覚行為が形成した知覚内容に関する私の直感である。後になってこの知覚内容との関係をどれほど生きいきと眼前に思い浮かべることができるかは、私の精神的、身体的な組織の機能如何にかかっている。表象とは特定の知覚内容に関わる直観に他ならない。それはかっての知覚内容と結びつき、そして常にこの知覚内容との関わりを保ち続けている一種の概念でもある。…
つまり、表象とは固体化された概念なのである。」(~p127)
127ページ~「…
このように表象は知覚内容と概念の間に立っている。それは知覚内容を指示する特殊な概念なのである。
そこから表象が作り出されるものの総体を経験と呼ぶことができる。多数の個体化された概念をもっている人は、豊かな経験の所有者であろう。…
現実はわれわれの前に知覚内容と概念となって現れる。そしてこの現実の主観的な再現が表象なのである。
われわれの人格がもっぱら認識的な態度に終始するとすれば、対象の総計は知覚内容と概念と表象とに尽きるであろう。
けれどもわれわれは思考の助けを借りて知覚内容を概念と関係づけることだけでは満足せず、知覚内容をわれわれの特別な主観性である個的な自我にも結びつけるが、そこの個的特徴の表現が感情なのである。感情は快もしくは不快となって現れる。
思考と感情は、われわれの本性の二重性に対応している。この二重性についてはすでに考察した。思考とはそれによってわれわれが宇宙の普遍的事象を共にするところの要素であり、感情とはそれによってわれわれが狭い自己存在の中に立ち返ることのできる要素である。
思考はわれわれを世界に結びつける。感情はわれわれを自分自身の中に連れ戻し、はじめてわれわれを個体にする。…
自己認識と共に自己感情を、事物の知覚と共に快、不快を感じることによってこそ、われわれは個的存在として生きている。個的存在の意味は自分と周囲の世界との概念関係によって汲みつくすことはできない。存在自身が独自の価値を担っているからである。
人は思考による世界考察よりも、感情生活の方が現実的な性格をより豊かに担っている、と思うかも知れない。それに対しては、感情生活はまさに私の個体にとってのみ、そのような豊かな意味を持っている、と答えることができる。私の感情生活が、世界全体にとっても価値を持ち得るのは、感情、つまり自分の自我を知覚するときの知覚内容が概念と結びつき、その廻り道を辿って宇宙に組み込まれるときだけである。
われわれの人生は、普遍的な宇宙事象と自分の個的存在との間を絶えず行ったり来たりしている。思考の普遍的性質の方へ昇っていけばいくほど、そしてその結果個的な在り方がもっぱら概念の例証となり範例となってしまえばしまうほど、われわれは個人としての独自の在り方を失ってしまう。個的生活の深みへ降りていけばいくほど、そして感情を外界の経験に共鳴させればさせるほど、われわれは普遍的存在から切り離される。自分の感情を遠く理念の世界にまで高めていくことができる人こそ、真の個性をもった存在であると言えるであろう。頭の中に収められた最も普遍的な諸理念でさえもはっきりとその人との特別な関係を示しているような人もいるし、個人的性質の痕跡をまったく持たない概念だけを示している人もいる。後者は概念はまるで血や肉をもった人間のものとは思えないくらいである。
表象活動は、概念の営みに個的な特徴を与える。どんな人も世界を観察する独自の立場を持っている。どんな人の知覚内容にもその人の概念が結びついている。それぞれ特別な仕方で普遍的な概念を思考するのであろう。この特別な在り方は世界における各人の立場から生じたものであり、それぞれの生活環境と結びついた知覚領域の所産なのである。
この特定の在り方に身体組織に依存した別の在り方が相対している。われわれの身体組織は完全に個的な在り方をしている。われわれはひとつひとつの感情を、さまざまな強さの度合いをもって知覚内容に結びつける。そしてこのことがわれわれの独自な人格の特徴となっている。生活環境上のすべての特殊性を考慮に入れたとしても、このことがなお残余の部分として残される。
思考内容をまったく欠いている感情のいとなみがあるとすれば、そのいとなみは、次第に世界との関連を失っていかざるをえないであろう。全体との関係を失わないでいる人の事物認識は、感情の育成、発達と手を取り合って進んでいくであろう。
感情は、概念が具体的な生命を獲得するための最初の手段である。」(~130ページ)。
シュタイナーはこの「第六章 人間の個体性」において、哲学者らの文章を引き合いに出すことなく、「思考」を人間の重要な存在価値として中心に置き、「私の思考組織」として、思考組織に組み込まれている直感、概念を位置付けていく。「知覚内容」、「知覚行為」を押え、「表象」を考える。そして「表象とは特定の知覚内容に関わる直観に他ならない。」さらに「表象は知覚内容と概念の間に立っている。それは知覚内容を指示する特殊な概念なのである。」。とわかり易く述べる。さらに、「表象が作り出されるものの総体を経験と呼ぶことができる。」と述べる。
そして、いよいよ「感情」が登場する。
「思考はわれわれを世界に結びつける。感情はわれわれを自分自身の中に連れ戻し、はじめてわれわれを個体にする。」
「われわれの人生は、普遍的な宇宙事象と自分の個的存在との間を絶えず行ったり来たりしている。」
人間内面の「思考」と「感情」は、普遍性と個別性として、引き合い、お互いを染め合いながら、人間個性主体のたゆまぬ進化・深化、試行錯誤を繰り返し、発展成長をつくり出していく。
そしてそれは、今井重孝著『シュタイナー「自由の哲学」入門』のP48~50、その最後の文章に記載されている「人間の内部にある普遍的なもの、つまり精神=思考が、個別的なる知覚や感情を、普遍的なものへと高めることができるのです。ここに世界認識の秘密があるのです。」に繋がっていくと考えます。
今回は、『自由の哲学』のP123~130「第六章 人間の個体性」を読みます。そして、今井重孝著『シュタイナー「自由の哲学」入門』のP48~50を参考文献としておさえておきます。
今回の「第六章 人間の個体性」を理解しやすくする為に、キーワード、キーセンテンスに着目しながら見ていきたいと思います。
「表象を解釈する」、「外なる事物」、「同じひとつの世界」、「主観としての私」、「知覚するのは世界の一断面」、「宇宙全体の出来事」、「知覚対象としての私」、「皮膚の中に潜んでいるものは全体としての宇宙の一部分」、「私の生体と外なる対象とを関連づける」、「封蝋に印象を刻印づける」、「私の精神に印象を刻印づける」、「十歩先の樹木についての知識」、「見当外れの問い」、「私の肉体の境界が絶対的な間じきり」、「事物から私の中へ情報が伝わってくる」、「私の皮膚の内部に働く力」、「外界に働く力」、「私もひとつの事物」、「知覚主体としての私」、「宇宙事象の一部分としての私」、「樹木の知覚内容と私の自我とは同じ全体の中に存在している。」、「宇宙のこの普遍的事象」、「樹木という知覚内容」、「私の自我という知覚内容」、「宇宙を認識する」、「宇宙を創造する」、「客観と主観(知覚内容と自我)」、「ひとつの行為の中で生じる」、「互いに相手を条件づけている」、「関連し合ったこの二つの本質存在の共通点」、「思考によるのでなければ見出すことができない。」、「思考だけが概念を通して、この両者を互いに関係づけている。」
p123~124半ばまで上記キーセンテンスをひろってみた。「思考」という重要なキーワードに行き着いた。
次にシュタイナーは生理学的な視点から知覚と表象の関係について検討する。しかし、
「…生理学上の事実は、知覚と表象との関係について何も明らかにしてくれないのである。われわれは別の仕方で正しい道を見出さなければならない。」(p125)とある。
そして、p125 ~
「ひとつの知覚内容が私の観察地平の上に立ち現れる瞬間に、思考もまた私の中で働き始める。私の思考組織に組み込まれている直観や概念がこの知覚内容と結びつく。この知覚内容が私の視界から消えてしまうと、後に何が残るのか。それは知覚行為が形成した知覚内容に関する私の直感である。後になってこの知覚内容との関係をどれほど生きいきと眼前に思い浮かべることができるかは、私の精神的、身体的な組織の機能如何にかかっている。表象とは特定の知覚内容に関わる直観に他ならない。それはかっての知覚内容と結びつき、そして常にこの知覚内容との関わりを保ち続けている一種の概念でもある。…
つまり、表象とは固体化された概念なのである。」(~p127)
127ページ~「…
このように表象は知覚内容と概念の間に立っている。それは知覚内容を指示する特殊な概念なのである。
そこから表象が作り出されるものの総体を経験と呼ぶことができる。多数の個体化された概念をもっている人は、豊かな経験の所有者であろう。…
現実はわれわれの前に知覚内容と概念となって現れる。そしてこの現実の主観的な再現が表象なのである。
われわれの人格がもっぱら認識的な態度に終始するとすれば、対象の総計は知覚内容と概念と表象とに尽きるであろう。
けれどもわれわれは思考の助けを借りて知覚内容を概念と関係づけることだけでは満足せず、知覚内容をわれわれの特別な主観性である個的な自我にも結びつけるが、そこの個的特徴の表現が感情なのである。感情は快もしくは不快となって現れる。
思考と感情は、われわれの本性の二重性に対応している。この二重性についてはすでに考察した。思考とはそれによってわれわれが宇宙の普遍的事象を共にするところの要素であり、感情とはそれによってわれわれが狭い自己存在の中に立ち返ることのできる要素である。
思考はわれわれを世界に結びつける。感情はわれわれを自分自身の中に連れ戻し、はじめてわれわれを個体にする。…
自己認識と共に自己感情を、事物の知覚と共に快、不快を感じることによってこそ、われわれは個的存在として生きている。個的存在の意味は自分と周囲の世界との概念関係によって汲みつくすことはできない。存在自身が独自の価値を担っているからである。
人は思考による世界考察よりも、感情生活の方が現実的な性格をより豊かに担っている、と思うかも知れない。それに対しては、感情生活はまさに私の個体にとってのみ、そのような豊かな意味を持っている、と答えることができる。私の感情生活が、世界全体にとっても価値を持ち得るのは、感情、つまり自分の自我を知覚するときの知覚内容が概念と結びつき、その廻り道を辿って宇宙に組み込まれるときだけである。
われわれの人生は、普遍的な宇宙事象と自分の個的存在との間を絶えず行ったり来たりしている。思考の普遍的性質の方へ昇っていけばいくほど、そしてその結果個的な在り方がもっぱら概念の例証となり範例となってしまえばしまうほど、われわれは個人としての独自の在り方を失ってしまう。個的生活の深みへ降りていけばいくほど、そして感情を外界の経験に共鳴させればさせるほど、われわれは普遍的存在から切り離される。自分の感情を遠く理念の世界にまで高めていくことができる人こそ、真の個性をもった存在であると言えるであろう。頭の中に収められた最も普遍的な諸理念でさえもはっきりとその人との特別な関係を示しているような人もいるし、個人的性質の痕跡をまったく持たない概念だけを示している人もいる。後者は概念はまるで血や肉をもった人間のものとは思えないくらいである。
表象活動は、概念の営みに個的な特徴を与える。どんな人も世界を観察する独自の立場を持っている。どんな人の知覚内容にもその人の概念が結びついている。それぞれ特別な仕方で普遍的な概念を思考するのであろう。この特別な在り方は世界における各人の立場から生じたものであり、それぞれの生活環境と結びついた知覚領域の所産なのである。
この特定の在り方に身体組織に依存した別の在り方が相対している。われわれの身体組織は完全に個的な在り方をしている。われわれはひとつひとつの感情を、さまざまな強さの度合いをもって知覚内容に結びつける。そしてこのことがわれわれの独自な人格の特徴となっている。生活環境上のすべての特殊性を考慮に入れたとしても、このことがなお残余の部分として残される。
思考内容をまったく欠いている感情のいとなみがあるとすれば、そのいとなみは、次第に世界との関連を失っていかざるをえないであろう。全体との関係を失わないでいる人の事物認識は、感情の育成、発達と手を取り合って進んでいくであろう。
感情は、概念が具体的な生命を獲得するための最初の手段である。」(~130ページ)。
シュタイナーはこの「第六章 人間の個体性」において、哲学者らの文章を引き合いに出すことなく、「思考」を人間の重要な存在価値として中心に置き、「私の思考組織」として、思考組織に組み込まれている直感、概念を位置付けていく。「知覚内容」、「知覚行為」を押え、「表象」を考える。そして「表象とは特定の知覚内容に関わる直観に他ならない。」さらに「表象は知覚内容と概念の間に立っている。それは知覚内容を指示する特殊な概念なのである。」。とわかり易く述べる。さらに、「表象が作り出されるものの総体を経験と呼ぶことができる。」と述べる。
そして、いよいよ「感情」が登場する。
「思考はわれわれを世界に結びつける。感情はわれわれを自分自身の中に連れ戻し、はじめてわれわれを個体にする。」
「われわれの人生は、普遍的な宇宙事象と自分の個的存在との間を絶えず行ったり来たりしている。」
人間内面の「思考」と「感情」は、普遍性と個別性として、引き合い、お互いを染め合いながら、人間個性主体のたゆまぬ進化・深化、試行錯誤を繰り返し、発展成長をつくり出していく。
そしてそれは、今井重孝著『シュタイナー「自由の哲学」入門』のP48~50、その最後の文章に記載されている「人間の内部にある普遍的なもの、つまり精神=思考が、個別的なる知覚や感情を、普遍的なものへと高めることができるのです。ここに世界認識の秘密があるのです。」に繋がっていくと考えます。
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