『ルドルフ・シュタイナー希望のある読書』2025年5月30日(金)93回 ― 2025年05月30日

R・シュタイナー著『神智学』(高橋巌訳、ちくま学芸文庫)の14回目の読書です。
今回の読書は「三つの世界」―「六 思考形態と人間のオーラ」(p177~190)です。「三つの世界」の最後の章になります。
 次の引用からスタートしていきます。

P178~180より
「・・・官能的な生活から出た思考内容は、赤い色調で魂界に浸透している。
思索する人を高次の認識へ引き上げるような思想は、美しい明るい黄色で現れる。帰依の感情に充ちた愛から生じる思考内容は、すばらしい薔薇色に輝いている。思考のこのような内容と並んで、内容そのものの中に見られる明晰さのさまざまの度合も、超感覚的にきまった現れ方を示している。思想家の厳密な思考内容は、はっきり輪郭づけられた形態を示し、混乱した観念は、雲のような模糊とした形態をとって現れる。
そして人間の魂と霊の本性も、人間の存在全体における超感覚的部分として、このような仕方で現れる。
「霊眼」によって知覚されるこの色彩活動が、人間のオーラなのである。それは生きた身体の周囲に輝いており、その身体を卵形をした雲のように包んでいる。オーラの大きさは、人間によってさまざまである。けれども平均して、身長の二倍の長さと四倍の幅をもって いると考えることができる。
オーラには、極めて多彩な色調の流れがある。そしてこの流れは、人間の内面生活を忠 実に映し出している。人間の内面生活がそうであるように、オーラの個々の色調もまた、 多様な変化を示している。けれども、特定の永続的な性質、つまり才能や慣習や性格は、基本的な色調の中で、変化せずに現れている。」

P181より
「人間の気質や心根次第で、オーラは非常に異なってくる。また霊的な進化の度合によっても異なる。動物的衝動にふけっている人は、豊かな思想の中に生きている人とはまった く異なるオーラをもっている。宗教的性質をもった人のオーラは、日常の陳腐な体験の中 に埋没している人のオーラから本質的に区別される。これに加えて、一切の気分の変化、一切の好き嫌いや喜び悲しみも、オーラによって表現される。」

P184~186より
「「霊眼」を一層発達させると、人間を取り巻いて流動し、放射状に拡散するこの「オーラ」の中に、三種類の色の現れ方を区別できるようになる。第一に、多かれ少なかれ不透  明で輝きのない性質の色彩がある。とはいえ、もちろん肉眼で見る色と較べれば、これら の色も軽やかで透明である。しかし、超感覚的世界の中でのこれらの色の満たす空間は、その他の空間に較べれば、不透明なのである。その色彩空間は、霧の集まりのようである。
 第二の種類の色は、いわば、完全に光と化している。これらの色の満たす空間は、明るさに貫かれている。空間は、これらの色によって、光の空間になっている。
 第三の種類の色は、これら二種類の色とはまったく異なって、光線を放ち、火花を散らし、きらめきを発するような現れ方をしている。これらの満たす空間は、単に明るく照ら し出されているだけではなく、空間そのものが輝き、光を放射するのである。これらの色 は、活発で動的である。前の二種類の色が静的で、外へ光を投げかけることがないのに対し、この色は絶えず、いわば、自分自身から色光を出している。
 前の二種類の色によって、空間は静かに同じ状態を維持する、精妙な液体に満たされているようであるが、第三の種類の色によって、空間は決して休もうとはしない。活発で、絶えず内から沸き起こってくる生命に満たされている。
 以上三種類の色は、人間のオーラの中で、隣合って並存しているのではない。互に別々 な空間を占めて存在するのではなく、多様極まる仕方で、浸透し合っているのである。た とえば鐘の形を見ながら、同時にその響きを聞くこともできるように、オーラの同じ部分に、これら三種類の色が現れるのを、人は同時に見ることができる。このようにしてオーラは非常に複雑な現象となる。いわば三種の入りまじった複合体となって現れる。
 しかし、これら三種類のオーラの一つひとつに注意を向けるなら、個々の形態を明らか にすることができる。感覚的世界の中で、たとえば音楽の印象に没頭するために目を閉じ るのと同じような事を、超感覚的世界の中でもすることができる。「見者」は、これら三種類の色に対して、三種類の知覚器官をもっている。そして観察を乱さぬ為に、これらの 器官のどれかひとつだけを開いて印象を受け入れ、他の器官は閉じておく。或る「見者」の場合、第一の種類の色の器官だけしか開発されていないから、一種類だけのオーラしか 見ることができない。他の二種類のオーラは、見えないままの状態にある。同様に別の見 者は、第一と第二の種類のオーラだけから印象を受け、第三のものからは印象を受けることができずにいる。」

P186~188より
 「「見霊能力」の高次の段階にある人は、これら三種類のオーラのすべてを見ることができ、しかも交互に注意を向けながら、オーラを観察することができる。
 三重のオーラは、人間の本性を超感覚的=可視的に表現したものである。その中に体、 魂、霊の三部分が表現されている。
 第一のオーラは、体が人間の魂に及ぼす影響の映像である。第二のオーラは、直接感覚 を刺激するものを超えてはいるが、まだ永遠なるものに向き合ってはいない。魂だけの生 活を表現している。第三のオーラは、人間における永遠の霊による無常の人間部分への働 きかけを映し出している。以上のように、オーラは、観察し難いだけでなく、なかんずく記述し難い。したがって、このような記述は、示唆以上に出るものではない。
 魂の特質は、このように、オーラとなって表現されている。その時々の感覚的衝動や欲 望にふけったり、一時的な外的刺激に我を忘れたりしている魂の場合、その第一の種類の オーラは、非常にけばけばしい色調を示しているし、その第二の種類のオーラは、虚弱な 現れ方をし、乏しい色彩しか示さない。そして第三の種類のオーラとなると、ほとんど形 態らしいものさえ見られない。ただそこここに、感覚的なものによって抑圧されているが、素質としてなお存在し続けている永遠なものが、色彩のきらめく小さな火花として暗 示されているだけなのである。
 人間が本能的衝動から脱却すればする程、オーラの第一部分の支配力は弱まり、第二部 分のオーラはますます増大し、人体を包むその色彩体をますます完全に、その輝く力で満たす。人間が「永遠なものの従者」として生きるようになればなる程、どれ程までに霊界  の市民であるかを証明する第三のオーラが、その美しい姿を現す。なぜなら聖なるあの霊 我が、人間のオーラのこの部分を通して、地上界に光を投げかけるからである。このよう なオーラを示す人は、神霊がそれによってこの世を照らす焔なのだといえる。そのような 人は、自分のためにではなく、永遠の真実、高貴な美と善のために、生きる用意ができて  いること、換言すれば、宇宙の壮大ないとなみの祭壇に自分を捧げる力を、自分を狭い自我の中から取り出す用意のあることを、オーラを通して示している。
 このように、オーラは、人間の輪廻転生を通して、自分の中から作り出してきたものの 表現なのである。」

P188~190より
 「三つの種類のオーラのすべての中には、多様極まりない色合いが含まれている。しかしこれらの色合いは、人間の進化の程度によって変化する。
 赤から青に至るあらゆる色合いの中で、オーラの第一部分は、未発達な衝動生活を表現 している。これらの色合いは、くすんだ不透明な性質をもっている。赤色のくどい色合い は、感覚的欲望、肉体的快楽、味覚の楽しみへの欲求をあらわしている。緑の色合いは、鈍感で冷淡な人間にありがちの、あらゆる享楽にふけることには貪欲でありながら、それ を満たす努力をいやがる人間の場合に、主として見出される。情熱が何らかの目標を激しく求めながら、それを達成する能力がこれに伴わない場合、茶がかった緑や黄味を帯びた 緑がオーラに現れる。現代の或る種の生活態度は、いうまでもなく、まさにこの種のオーラを培養している。
 低級な欲望に根ざした個人的な自己感情、つまり利己主義の最低の段階は、不透明な黄 から茶に至る色調を示している。とはいえもちろん、動物的な衝動生活もまた、好ましい 性質をもつことがありうる。すでに動物界の中に、純粋に本能的で、しかも高度の自己犠 牲の能力が見られる。本能的な母性愛において、動物的な衝動はそのもっとも美しく完成 した姿を示している。このような没我的本能衝動は、第一種類のオーラの中で、淡紅色か ら薔薇色に至る色合いとして表現される。明白な事実から目をそむけようとする法懦な心は、茶がかった青か、灰色がかった青として、オーラに現れる。
 第二のオーラも同様に、極めて多様な色合いを示している。誇りや名誉心のような、非常に発達した自我感情は、茶やオレンジ色の構成体となって表現される。好奇心もまた赤 黄色の斑点によって表現される。淡紅色は、透徹した思考や知性の反映である。緑は、人生や世間に対する理解の表現である。楽々と知識を吸収する子どもたちは、オーラのこの 部分に多くの緑色をもっている。記憶力の良さは、第二のオーラにおける「黄緑色」として現れる。薔薇色は、善意と愛に満ちた性質を示している。青は、敬虔さのしるしである。敬虔が宗教的高揚感に接近すればする程、この青は紫の方へ移る。高度の理想主義に貫か れた真剣な人生態度は、藍色として現れる。
 第三のオーラの基本色は、黄と緑と青である。淡黄色は、思考が普遍的な高い理念に充 たされ、個々の事柄を神的宇宙秩序の全体から理解するときに現れる。この黄色は、思考 が直観的な思考形式をとり、この思考と結びつく感覚的表象がまったく純粋な在り方を示すようになるとき、黄金の輝きをもつようになる。緑色は、あらゆる存在に対する愛を表 現している。青色は、あらゆる存在のための没我的な献身能力の現れである。この献身が、世のために奉仕したいという強力な意志にまで高まるとき、この青が薄紫色に澄み透ってくる。高度に発達した魂の質をもちながら、まだ誇りと名誉心という利己主義の最後の残 滓が存在しているとき、黄色と並んで、オレンジがかった色合いが現れてくる。
 この部分のオーラにおける色彩が、感覚界で見慣れている色合いとまったく異なっているのは当然である。それは、地上の世界では比較できるものが見当らぬくらい、美しく、  崇高である。
 「オーラを見ること」は、物質界で知覚されうるものの限界を拡大し、それに新しい充実を加える。このことに主要価値をおかぬ者は、「オーラ」のこの表現の真意を正しく理解できない。このような知覚の拡大こそ、感覚的現実以外に霊的現実をも担っている魂本来 の在り方を認識させてくれるのである。以上の表現全体は、幻覚的に知覚されたオーラに よって、人間の性格や思想を解釈することとはまったく無関係である。それは認識を霊界の方向に拡大しようとする試みなのであり、人間の魂をそのオーラから解釈する疑わしい技法とはいかなる関係をも、もとうとはしていない。

 私=小川は、この章で特に印象が強く、大切だと思う文章の一つ、以下の一文を再表記いたします。

 「「オーラを見ること」は、物質界で知覚されうるものの限界を拡大し、それに新しい充実を加える。」

 このR・シュタイナーの文章の大切さを感じ取ることが出来るようになるまでの私自身の成長。そのことを見つめることが出来るようになってきたこと。つくづく、感謝致します。
 R・シュタイナー著『神智学』(高橋巌訳、ちくま学芸文庫)の原盤での読書をお願い致します。