『ルドルフ・シュタイナー希望のある読書』2023年2月5日(日)82回2023年02月05日

 R・シュタイナー著『神智学』(高橋巌訳、ちくま学芸文庫)の3回目の読書です。
 今回は「人間の本質」(p29~34)を読みます。

 この「人間の本質」は先ずゲーテの言葉がとり上げられます(p29二行目~p30九行目)。このゲーテの言葉の中のゲーテの思想から、シュタイナーは次のような考えを生み出しています。
 
 「このように人間は、常に三重の仕方で世界の事物と結びついている。今のところは、この事実の中へ何の解釈ももちこまず、この事実が現れるままをただ受け容れるだけにしておこう。今明らかになったことは、人間がその本質の中に三つの側面をもっている、という事実である。ここではさしあたり、体、魂、霊という三つの言葉で、この三つの側面を暗示しておきたい。この三つの言葉に何らかの先入見や仮設をもって対するかぎり、以下の論述はどうしても誤解されざるをえないだろう。体とはここでは、上例の牧場の花のような周囲の事物を、人間に示すところのものを意味する。魂とは、人間を事物と結びつけ、人間に気に入る、気に入らない、快と不快、喜びと苦しみを感じさせるところのもの、と解されるべきである。霊とは、もし人間が――ゲーテの表現を用いれば――事物を「いわば神的な態度」で観るとき、彼に開示されるものを意味する。
 この意味で人間は体と魂と霊とから成っている。
 体を通して、人間は一時的に自分を事物と結びつける。魂を通して、人間は事物が与える印象を自分の中に保持する。そして霊を通して、事物自身がみずから保持しているものが彼に啓示される。人間をこの三つの側面から考察するとき、はじめて人間の本性の解明が期待できるようになる。なぜならこの三つの側面は、人間が三重の異なる仕方で、世界と同質の存在であることを示しているからである。(p32七行目~p33六行目)」

 この「人間の本質」の章は、人間の体・魂・霊の三つの側面の概要を伝えてくれている。
次の文章も自覚しておきたい。

 「私の体的事象のすべては、身体的諸感覚によっても知覚できる。私が好んでいるか、嫌っているかということ、私の喜びと苦しみは、私も他人も、身体的感覚によっては知覚できない。魂の世界は、体的な見方にとって、手のとどかぬ領域である。人間の体的存在は、万人の眼に明らかである。人間は魂の存在を、人間自身の内部に自分の世界として担っている。しかし霊によって、外界が高次の仕方で人間に示される。外界の秘密が明らかにされるのは、人間の内部においてであるが、しかし人間は、霊的存在として、自分の外へ出ていき、そして事物に事物自身のことを語らせるのである。人間にとって意味のあることではなく、事物自身にとって意味のあることを。(p33十行目~p34二行目)」

 「かくして人間は、三つの世界の市民である。その体を通して、彼は身体が知覚するところの世界に属し、その魂を通して、彼自身の世界を構築し、その霊を通して、この両者の及ばぬ世界が彼に啓示される。(p34五行目~七行目)」

 この「人間の本質」の章から、人間が関わる体の世界、魂の世界、霊の世界の三つの概要の一端の手懸りをイメージすることができました。以後、この『神智学』の書籍から「体」・「魂」・「霊」の世界について深めていきたいと思います。

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