『ルドルフ・シュタイナー、希望のある読書』2021年2月2日(火)65回2021年02月02日

 R・シュタイナー著『自由の哲学』(高橋巌訳、ちくま学芸文庫)、あわせて今井重孝著『シュタイナー「自由の哲学」入門』(イザラ書房)を読み進めています。今回で3回目になります。

 そして今回は今井重孝著『シュタイナー「自由の哲学」入門』(イザラ書房)の「第一章シュタイナー哲学の到達点」(p13~28)を読み進めます。
 この第一章は3つに分けて展開されています。
 ・「はじめに」
 ・「第一節『ゲーテの世界観』の到達点」
 ・「第二節『真理と学問』の到達点」

 先ず、「はじめに」について見ていきたいと思います。この節は「哲学とは、なんでしょうか」で始まります。
「…シュタイナーの『自由の哲学』も、まさに、今の時代をどう生きたらよいのかという問題を扱ったものです。
 シュタイナーの『自伝』によりますと、ウイーン工科大学入学前の七年間の実科学校(実業系中等学校)時代の十四、五歳のころ、カントの『純粋理性批判』(篠田英雄訳、一九六一年<岩波書店>など)を二〇回以上読んだり、上級三学年でヘルバルトの「哲学入門」を読んだりしており(『シュタイナー自伝 上』西川隆範訳、二〇〇八年<アルテ>三二頁、三七頁)、すでに哲学書を個人的に読む機会をもっていました。実科学校卒業からウイーン工科大学入学までの数か月間には、フィヒテやカントを読み、シェリング、ヘーゲルと格闘していました(同書、五一~五三頁)。…若きシュタイナーは、このドイツ観念論哲学を批判的に超克する必要を感じていたのでした。」
 今井重孝さんのこの文章から、若きシュタイナーの真理を求める哲学への熱い心が伝わってきます。

 次の、「第一節『ゲーテの世界観』の到達点」、「第二節『真理と学問』の到達点」を見ていきました。そして思いました。
この「第一章シュタイナー哲学の到達点」を理解していくことは、『自由の哲学』を読み込まないと到達出来ないことを知りました。そしてそれは、ゲーテの自然科学論集、R・シュタイナー著『ゲーテ的世界観の認識論要綱』(浅田豊訳、一九九一年<筑摩書房>)、R・シュタイナー著『ゲーテの世界観』(溝井高志訳、一九九五年<晃洋書房>)、それらの著作の内容理解。そして、カントやヘーゲルの理解、ドイツ観念論哲学の理解等々がある程度必要であることを痛感しました。
 そして、この今井重孝著『シュタイナー「自由の哲学」入門』(イザラ書房)の「第一章シュタイナー哲学の到達点」(p13~28)をよりよく理解するための基礎的認識力は私に課せられた今後の課題だと思っています。

 次回以降、R・シュタイナー著『自由の哲学』(高橋巌訳、ちくま学芸文庫)の読書。その理解のサポートとして今井重孝著『シュタイナー「自由の哲学」入門』第二章『自由の哲学』についてあわせて読んでいきたいと思います。その都度、課題となるテーマを確認出来ればよいと考えています。

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