『ルドルフ・シュタイナー、希望のある読書』2021年2月12日(金)66回2021年02月12日

 R・シュタイナー著『自由の哲学』(高橋巌訳、ちくま学芸文庫)、その理解サポートとして今井重孝著『シュタイナー「自由の哲学」入門』(イザラ書房)を読み進めています。4回目です。
 今回は『自由の哲学』―「第一部 自由の科学」―「第一章 人間の意識的行為」(p025~038)を読み進めます。
 この章は、
 「人間の思考と行為は自由であるのか、それとも必然という鉄の掟に縛られているのか。」、
 この有名な書き出しでスタートしています。
 そして、この問いをベースに、ダ-ヴィト・フリードリヒ・シュトラウス、ハーバード・スペンサー、スピノザ、エドゥアルト・フォン・ハルトマン、ロバート・ハーマーリング、パウル・レー等の著作文章を例示し、その限界を指摘し、それを乗り越えていく思考方向を提示しています。彼等への見解について、ここでは取り上げませんが、この部分の原書に眼をいれていただくとよいと思います。
 そうして、次のように展開しています。(p036~038中から引用させていただきます。)

 「…
 どんな行為も、その行為者がなぜそうするのかを自覚していなければ、自由な行為にはなり得ない。それはまったく自明なことである。それでは一体、理由がよく分かっている行為と分っていない行為との間にはどんな違いがあるのか。このことを知ろうと思うなら、思考の根源と意味について、あらためて問わなければならない。なぜならわれわれの魂の働きである思考活動を認識することなしには、何かについて知るということ、それ故行為を自覚するということの意味を理解するのは不可能だからである。思考が一般に何を意味するのかを認識するとき、人間の行動にとって思考がどんな役割を演じるのかも明らかになるであろう。「動物にも備わっている魂を精神に作り変えるのは思考の働きである」とヘーゲルも述べているが、この言葉は正しい。その意味で、思考こそが人間の行為に人間らしさの特徴を与えているのである。…
 …
 …愛、同情、愛国心などは、冷たい理解力の範囲内には収まりきれないような行動の動機である。心情こそがそのような行動を惹き起こすのだ、と言われている。確かにそう言える。しかし心情が行動の動機を直接作り出すのではない。それは行動の動機をふまえ、行動の動機を自分の領域内に取り込んでいる。私の意識の中に同情に値する人物の表象が現れたときに、私の心の中には同情が現れる。心情へ到る道は頭を通っているのである。愛もまた例外ではない。愛が単なる性欲の表れでないとすれば、われわれの愛は愛する存在についての表象に基づいている。そして、その表象が理想主義的であればある程、愛はわれわれの心情を充たしてくれる。ここでもまた、思考内容こそが感情の父なのである。愛は愛の対象の弱点を見えなくする、と人は言うかも知れない。しかしこの命題は逆転させることもできる。すなわち愛は愛の対象の長所に対して目を開かせる。無数の人たちが何も感じることなく、そのような長所の傍らを素通りしていく。その中のひとりがその長所に眼をとめる。そしてまさにそれ故にこそ、愛が魂の中で目覚める。一体そのような場合、その人は何を行ったのだろうか。多くの人たちが持たなかった表象を、その人だけが持ったのである。他の人たちには表象が欠けていたので、彼らは愛を持たないのである。
 だから問題を、われわれの望む仕方で扱おう思う。人間の行動の本質を思考の根源から問い直すことの必要性がますます明らかにされねばならない。だからまず、この問いに向かおうと思う。」

 そして、今井重孝著『シュタイナー「自由の哲学」入門』(イザラ書房)の「第二章『自由の哲学』について」眼を入れました。
 「はじめに」(p31~36)は、シュタイナー哲学全般について語っています。そして、「第一節「第一部 自由の科学」の内容」(p36~37)は自由の科学の主旨を示してくれました。ここではその主旨を書き込みませんので、この書籍を是非読んでいただきたいと思います。
 次に「一、「第一章 人間の意識的行為」」(p37~38)からは、R・シュタイナー著『自由の哲学』(高橋巌訳、ちくま学芸文庫)の展開に沿い、その各論の主旨説明をして、難解な『自由の哲学』を一般人にも分かり易く示してくれます。
 そして、
 「…
 デカルトは「我思考す、ゆえに我あり」と述べましたが、まさに思考こそが、現在の人類の特徴なのです。「自由」の問題は、人間の特徴である「思考」の本性を理解した時に明らかになるのです。」
と結び、「第二章 学問への根本衝動」へと繋げています。

 R・シュタイナー著『自由の哲学』は少しずつ読み進めながら、調べたりし、理解を推し進める方法がよい。そう思っています。