『ルドルフ・シュタイナー希望のある読書』2024年2月29日(木)89回2024年02月29日

R・シュタイナー著『神智学』(高橋巌訳、ちくま学芸文庫)の10回目の読書です。
 今回の読書は「三つの世界」―「二 魂の世界における死後の魂」(p121~135)です。
 
 貴方にとって重要と思う個所はどこですかと問われたなら、全ての文章ですよと返答したでしょう。最初の一行から重要に思います。しかし、全てを引用するわけにはいきません。ですので、今回は、「死後の魂界」に関わる文章を見ていきたいと思います。

124~126ページ
 「死後の魂の運命を知るには、その解消過程を考察しなければならない。魂は霊を物質の方に向わせる課題を背負っていた。この課題を果し終えた瞬間に、魂は霊の方向に向かう。
 この課題との関係からいえば、体が魂から離れ、したがって魂がもはや結合部分の役割を果たす必要がなくなるとき、魂は本来なら、ただちにもっぱら霊的に活動できる筈である。
 体におけるいとなみを通して体の影響をうけ、体に惹きつけられることさえなければ、魂 はもっぱらそのように活動することができた筈である。体に宿ることで、その影響に染ま ることがなかったなら、体を脱したあと、ただちに霊的、魂的な世界の法則だけに従い、感覚体験を今までのように求めたりはしなかったであろう。もし人間が死に際して、完全 に地上世界への関心がなくなる程にまで、地上存在と結びついた欲望、願望等のすべてを 満足させていたなら、そうできたかも知れない。しかし現実にそうできない場合には、こ の方向でまだ充たされていないものが、魂に付着している。
 混乱を避けるために、ふたたび生れ変ってきたときに償いをつけることができるようなこの世の因縁と、死後の魂を生前の特定の生活に執着させるようなこの世の因縁とを注意深く区別しておかなければならない。前の場合は、運命の法則、カルマを通して解決されるが、後の場合は、死後の魂が自分でその因縁を取り除くことしかできない。
 死後の魂は、もっぱら自分が霊的、魂的な世界の法則に従うことで、霊を自由に活動させるために、物質存在への執着を一切絶つのに必要な一時期をもつ。魂が物質的なものに拘束されていればいるほど、もちろんこの期間は延長される。物質生活への依存度の少なかった人の場合は、期間が短く、物質生活への関心が強く、死後もなお多くの欲望、願望等が魂の中に残っている人の場合は、長く続く。」

127~128ページ
 「死後、魂の世界に入った魂は、この世界の諸法則の下に生きる。その諸法則が魂に働きかける。物質的なものを志向する魂の傾向が、どのような仕方で消滅するに至るかは、この働きかけにかかっている。この働きかけは、魂が入っていった領域の素材と力の種類によって異なってくる。とはいえ、種類の如何にかかわらず、この働きかけによって純化し、浄化する感化力が、魂に影響を及ぼす。そしてすべての反感作用が魂の中で、次第に共感の力によって克服され、共感そのものも、最高の頂点にまでもたらされる。最高度の共感とは、魂が魂界全体に融合し、魂界とひとつになることをいう。そのとき、魂の利己的傾向は、完全に消える。魂は、もはや物質的、感覚的な存在に関心をもとうとはしなくなる。このようにして、霊が魂を通して解放される。
 このようにして魂は、完全なる共感の領域で、魂界全体とひとつになるまで、上述した魂界の諸領域を通過しながら、浄化を続ける。もしも霊が、魂の解脱の最後の瞬間まで、この魂そのものと結びついていたとすれば、それは霊が、地上生活を送る間に、魂と完全に同化してしまったからに他ならない。この同化は、体との同化よりもずっと徹底してい る。なぜなら、霊は、体とは魂を通して間接的に結びついていたのだが、魂との結びつきは直接的なのだから。魂は、霊の個人生活としていとなまれている。だから霊は、腐敗する肉体にではなく、次第に解脱を遂げつつある魂と結びついている
 霊は魂と直接結びついているから、魂が魂界全体とひとつになったときはじめて、霊は魂から自由になった自分を感じることができる。」 

128~135ページ
 「死後の人間の最初の滞在の地である魂の世界は、「欲望の場所」と呼ばれるが、魂のこの状況を知り、それを教義に取りいれているさまざまな宗教体系は、この「欲望の場所」を「煉獄」、「浄火」等と名づけている。
 魂界のもっとも低い領域は、燃える欲望の領域である。死後、この領域を通過する間に、物質生活にかかわる粗野で利己的な欲望が消滅させられる。なぜなら、この欲望をまだ捨てることができずにいる魂は、まさにこの欲望を通して、この領域の力の或る作用をまともに受けざるをえないからである。この作用の起点となるものは、物質生活への、まだ充 たされぬままに残っている欲望である。この魂の共感は、自分の利己的欲求を充たしてくれるものにしか及ぼうとはしない。その他のいたるところには、反感が働いており、その反感が魂を圧倒している。ところがこの場合、欲望は魂界の中では充足させられない物質的享受を求めている。… 」

 「共感と反感が均衡を保っているのが、魂界の第二領域の状態である。死後、これと同じ状態にある人間の魂は、この第二領域の作用を受ける。人生の外的事情に心を奪われたり、感覚の一時的な印象に喜びを求めたりすることが、この状態を作り出す。このような状態にある魂の要求から自由になれない人は、この領域の中に留まり続ける。このような人は、日常の瑣事にいちいちこだわる。しかしその際、共感が特にひとつの事物に向けられることがないから、どんな印象も、特別の影響を与えることなく、急速に通り過ぎる。しかもこの些細な、無価値なもの以外はすべて、このような人の反感を呼び起こす。…」

 「第三に、魂界の中には、共感と願望の支配する状況が観察される。魂は死後、願望の雰囲気をもつすべてのものを通して、この第三の領域の作用を受ける。この願望もまた、成就させることが不可能なので、次第に消滅する。」

 「魂界の第四領域である快と不快の領域は、魂に特別の試練を課す。肉体に宿っているとき、魂は体に関するすべての事柄に関与する。快と不快の働きは、体と結びついている。体が快感と満足感、不快感と不満足感を惹き起す。だから人間は、地上生活において、自分の身体を自分の自我と感じるのである。自己感情と呼ばれるものは、この事実に基づいている。そして人間が感覚的傾向を強くもっていればいる程、その自己感情は、このような特徴をもっている。
 …
 この第四領域の作用は、したがって、肉体即自我の幻想を打破することにある。魂は体 的本性を、もはや本質的なものとは感じなくなる。魂は、体的本性への執着から解放され、純化される。これまで魂を物質界に強く拘束してきたものが、このようにして克服されたので、今や魂は、外へ拡がる共感の諸力を存分に発揮することができるようになる。魂は、いわば自己を脱却して、魂界全体の中へ自分を進んで注ぎ込むようになる。
 以上との関連で、是非述べておかなければならないのは、自殺者の問題である。自殺者は、特別な仕方で、この領域の諸体験に耐えていかなければならない。彼は不自然な手段を用いて肉体を棄てたが、肉体に係わるすべての感情は、そのまま彼の魂の中に残されている。自然死の場合は、肉体の衰弱とともに、肉体に結びついた諸感情も、部分的に消滅していく。自殺者の場合は、突然穴が空けられてしまったという感情が生み出す苦悩の他に、自殺の原因となった充たされぬ欲望と願望とが、苦悩を生み出す。」

 「魂界の第五段階は、魂の光の段階である。この段階では、他のものに対する共感がすでに重要な意味をもつ。この世の生活の中で、低い欲求だけを満足させようとはせず、与えられた環境に対して、喜びと愛情を感じることのできた魂は、この段階に親しみをもつことができる。
 たとえば自然に没入しようとする態度も、もしそれが感覚的性質のものであったら、たとえばこの段階で浄化を受けるだろう。しかし自然体験には、もっと高次の、霊的性格のものがある。それは自然の事物やそのいとなみの中に顕現する霊を体験しようとする場合である。このような自然感情は、その人の霊性を開発し、魂の中に永続的部分を築き上げる。しかし感覚的享受を動機にもつ自然体験は、この自然感情とは異なる。魂は、物質的なものだけに向けられた欲求と同じように、このような自然体験をも、浄化しなければならない。また多くの人びとは、物質的な福祉をもたらす諸制度、たとえば快適な生活を築 くための教育制度の中に、一種の理想を見出している。この人びとが利己的衝動だけに従っているとは、もちろんいえない。しかしその人びとの魂は、感覚世界を志向している限り、魂界の第五領域を支配している共感の力によって、浄化されなければならない。この共感の力には、そのような外的充足手段が欠けているから、魂は別の手段でこの共感を充足させなければならない。そしてそのような手段とは、魂が魂界の環境に共感することによって実現されるところの、魂の空間の中への自己流出以外にはないのである。
 宗教活動を通して物質生活の向上を期待していた人びとの魂も、この領域で浄化を受ける。その人びとの憧憬の対象が地上の楽園だったのか、それとも天上の楽園だったのかはどちらでもよい。いずれの場合も、このような人びとの魂は、「魂の国」の中で、この楽園に出会うであろうが、それは結局、このような楽園の空しさを悟るためなのだからである。以上は、この第五領域で生じる浄化についての個々の例に過ぎない。例はいくらでも増やすことができる。」

 「第六の領域は、魂の活動力の領域である。利己的な性格をもたなくても、行為の動機が 感覚の満足にあるような事業欲は、この領域の中で浄化を受ける。活動意欲に燃えている人は、一見まったくの理想主義者であるような印象を与える。犠牲的精神に富んだ人物であるようにも見える。しかし深い意味において、そのような場合の動機となっているのは、感覚的な快感の高まりなのである。芸術的な人や面白いというだけの理由で学問研究に没頭している人の多くも、この部類に属する。芸術や学問の存在理由がそのような面白さにあると信じることが、その人たちを物質界につなぎとめている。」

 「本来の魂の生命の領域である第七領域は、感覚的、物質的な世界への執着から最終的に人間を解放する。これまでのどの領域も、魂の中にあるその領域と同質の部分を、魂から取り上げてきた。最後に残された魂の部分は、感覚的世界のためにすべてを捧げて働くべきだという考え方であって、これが霊を依然として覆い包んでいるのである。
 非常に優れた人物の中にも、物質界の事象以外のことはあまり考慮しようとしない人がいる。そのような信念を唯物論信仰と呼ぶことができるだろう。この信念は、打破されねばならない。そしてそれはこの第七領域において為される。この領域での魂は、真の現実 の中には唯物論信仰の対象となるようなものは何も存在しない、ということを悟る。氷が日に当たって溶けるように、魂のこの信念もこの領域で消えていく。魂は今や、魂界に残りなく吸収し尽され、霊はあらゆる束縛から自由になる。霊は今、本来の諸領域へ向かって飛翔する。それらの領域においてのみ、霊は、自己本来の環境の中にいる、ということができる。

 「魂は生前、この世の課題に応えてきた。そして死後、この課題のうち、霊にとっての束縛であったものが解消された。魂は、地上生活のこの残滓を、残りなく捨て去ることにより、魂自身、その本来の領域の中に戻っていく。
 以上に述べたことから分かるように、魂界における諸体験と、それを体験する死後の魂の状態とは、肉体に宿っていた魂の中の、肉体と同質化してしまった部分がますます拭い去られるに応じて、魂にとっても好ましい様相を示すようになる。
 魂は、この世の生活の中であらかじめ作られてきた条件次第で、以上の諸領域のどれかに長く留まったり、短く留まったりする。魂は、同質の領域に、この同質性がすっかり消滅するまで留まり続ける。同質の部分が全然存在しないところでは、何も感知することなく、魂はその影響圏を通過する。この章では、魂界の基本性質と魂界における魂のいとな みの一般的特徴だけを扱ったが、この点は霊界についての以下の記述でも同じである。魂 界と霊界の特質を、もっと詳細に論じようとするなら、とても一冊の本には収めきれないものになってしまうであろう。物質界における空間の関係や時間の進行に比較されるようなものについてだけでも、それが物質界とはまったく異なるものなので、理解を容易にしようと思えば、非常に詳細にわたって述べる必要があるからである。この点に関する若干の重要な内容は、私の『神秘学概論』の中に見出せる。」

 R・シュタイナ-は現世の現象世界の他に魂界と霊界が実際に存在すると言い切っている。人間は、肉体の死後、この物質世界から魂界に行き、この魂界で物質世界・現象世界に執着している人間の意識の浄化を経て、霊界に向かうという考えをシュタイナーは示している。このことをシュタイナーは事実であると言っている。
 今回の読書である「魂の世界における死後の魂」(p121~135)を読み、肉体の死後、人間がたどる魂界での七つの領域について、シュタイナーのこの『神智学』から知ることができた。肉体の死後、魂界を巡る意識=霊魂は現象世界で体験した物事を人間は魂界まで持ち込んでしまう。魂界においては、その現象世界で体験した物事に執着している意識の断片は問われていく。現象世界の物事に執着した意識の衣は、拭い去り、捨て去り、廃棄し、物事への意識から無に帰することが必要になる。意識は空無になること。クリーンな意識の状況が魂界では必須のようである。
 「魂の世界における死後の魂」(p121~135)を読みながら、あらためて魂界とは何かと問う。そしてあらためて思う。現象世界を生きた結果を問い直すことが、魂界の役割の一つではないのか。現象世界の人間一人ひとりの生き方、夫々の人生の交流、その現象世界での生存の仕方は魂界で問われる。それは魂界の役割である。あらためて述べることであるが、魂界とは現象世界の一人ひとりの生き方を問い、現象世界に執着した意識を無に帰する役割がある。魂界で意識を無にすることにより、次の世界、霊界に進むことが出来る。そのため魂界とは、地獄でもあり、天国でもある世界を体験できる場でもある。魂界とは、成長を続ける自己意識には、大切な世界でもある。魂界についてそのような考えを今は抱いている。
 R・シュタイナー著『神智学』(高橋巌訳、ちくま学芸文庫)を読みながら、実際に存在すると考えられている魂界、霊界について思い巡らし、認識を深めていきたい。