飯舘村除染作業日記 5月9日(金)19日目2014年05月10日

フレコン詰め作業

朝5時山の端を登る太陽を窓から拝む。福島県の月舘宿舎を照らす朝日だ。
380人に膨れ上がった前田・八和木地区除染作業所。飯館村全体の除染作業員は800人ほどになるだろうか。6月には2000人体制、今秋には7000人体制で除染作業を行うとJV担当者は入所時の説明していた。
朝礼後、飯舘村八和木地区の乾田に居る。表土を削った土塊をフレコン袋に詰める作業が始まる。空間線量は毎日作業者で確認するが、今日は確認が無かった。この地区の乾田の土の放射能濃度の数値を未だ把握していない。
飯舘村の田園風景は美しい。けれども田んぼや畑に出て田畑を手入れし見守る村民の姿は無い。
本日の作業であるフレコン詰め行程は、K氏と私が円形の鉄枠へフレコン袋をセットする。そのフレコン袋へ、Y氏がユンボ(建設移動機械)で乾田を剥ぎ取った土を入れる。フレコン袋いっぱいに放射性物質に汚染された土が入ったらフレコン袋の口を紐で締めて鉄枠から外す。その時指先と腕に力が必要である。先ず内袋のビニール袋を閉じて、フレコンの黒い外袋の口を鉄枠から外す。閉じて縛る。縛り終えたら、次に鉄枠を抜き出す。1袋1トン(?)ほどの土が詰まったフレコン袋から鉄枠を、Y氏と私が持ち上げて抜き出す。その行程は、指先や腕に力が必要である。次に、その鉄枠に新たなフレコン袋をセットする。鉄枠上端のフレコン袋セットする時フレコンの端を握った中指薬指の皮膚を擦る。バンドエイドやガムテープを接触部に貼り被害を最小化する。鉄枠は50㎏ほどあるが一人で持ち運びが出来ても、フレコン袋から抜き出すことは一人では無理だ。1日50袋ほど作る。
フレコン袋の材質は未だわからない。石油素材であることは確かだが、放射性物質を長期間入れておくに相応しいのか。1枚価格は幾らなのか。
 午後2時半頃雨が降り出した。気温も下がってきた。作業中は汗だくになっていたが、雨に打たれて寒くなってきた。仕事の区切りを付けて、30分早い休憩となった。午後4時空が晴れてきた。フレコン詰め作業を再開した。終了時はさんさんと輝く太陽の中を帰った。日の光の中の飯舘村の田園は緑が濃くなりつつある山々に囲まれて美しいと思った。ただ今は異常な状況であった。原発事故により村民がいない。「美しい村に放射能が降った」為だ。菅野典雄村長の書を思った。
 スクリーニング室の前に長い行列が出来ていた。
退出時、各自身に着けている線量計をパソコンと繋ぎ、被ばく線量値をプリントアウトする。今日の私の線量値は、0.011mSv/9.36h。スクリーニング室について別途触れていきたい。

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