『ルドルフ・シュタイナー、希望のある読書』2017年8月3日、26回2017年08月03日

『精神科学から見た死後の生』(シュタイナー著 西川隆範訳 風濤社発行)
 「死者との交流(一)」―「死者のための読書法」より

 今この現実は、毎日、起床して、食事して、働き、会話して、テレビやインターネットを見て、寝て、この日常を繰返し、暮らしている。この時、この今も、死者が共もにいる。肉体が無いのが死者だ、けれども死者は存在しているのだ。肉体が無いけれど死者は生きている。肉体が無いが死者は存在している。永遠の死というものは無いのだ。この『精神科学から見た死後の生』を読むと死者についてのことがわかってくる。その死者との交流をどのように築いていくのか。「死者のための読書法」から学びたい。仏教でお経をあげることはシュタイナーの「死者のための読書法」と繋がっているかもしれない。そう思った。

 以下「死者との交流(一)」―「死者のための読書法」(p133~)より引用させていただきます。

 「透視的なまなざしで見ると、つぎのようなことが観察されます。多くの死者が、自分を追いかける憎しみによって、よい意図を妨害されています。また、地上で自分を愛してくれている人々が唯物論に陥っているので、その愛から慰めを受けることができないでいます。地上に生きている人の心魂のなかに精神的な思考が存在すると、死者にはその人がいるのが分かります。
 透視的なまなざしによって観察される、このような精神世界の法則は、完全に有効なものです。しばしば観察される出来事によって、その法則が絶対的に有効であることが分かります。憎しみや反感は、意識的に心に抱かれていなくても、作用するのです。
 生徒たちに人気のない厳しい教師がいます。よく観察すると、その教師に対する無邪気な反感・憎しみが存在しているのが分かります。その教師が死ぬと、地上に残った生徒たちの思考のなかに、精神世界における彼のよい意図を妨害するものがあることになります。子どもたちは、「教師が死んだら、もはや憎むべきではない」というふうには思いません。教師からどんなに苛められたかという感情が、自然に残っているものです。このようなことを洞察すると、生者と死者との関係について多くを知ることができます。
 私は、精神科学的な努力のよい成果のみを、みなさんに話すようにしています。死者に、本を読んであげることができるのです。死者に向かって、精神的なことがらの書かれた本を読むことは、大変死者のためになります。
 まず、思いを死者に向けます。死者のことを思い出し、死者が自分の前に立っているか、座っている姿を思い浮かべます。大きな声で読む必要はありません。「死者が私の前にいる」と思いながら、本に書かれている内容を注意深く追っていきます。そのように、死者のために本を読むのです。抽象的に思考してはなりません。書かれている内容を考え抜くのです。それが、死者のための読書です。
 同じ世界観を持っていた死者、人生のなんらかの領域に関して共通の考えを持っていた死者、個人的な関係を持っていた死者に対しては、たとえ生前疎遠であったとしても、本を読んであげることができます。死者は自分に向けられる暖かい思考をとおして、次第に本を読んでくれる人に気付いていきます。それどころか、疎遠であった人が死んだ後、本を読んで聞かせるのは有益であります。
 朗読する時間は、いつでもかまいません。「いつ朗読するのが一番いいのか」と質問されたことがありますが、時間とはまったく関係ありません。
 書かれている内容を、本当に考え抜かねばなりません。表面的に読むのでは不十分です。暗唱するなら、一語一語考えて言葉を発する必要があります。死者も、ともに読んでいるのです。「そのような朗読は、生前に精神科学に好意を持っていた人にとってのみ有益だ」と思うのは、正しくありません。そのようなことは、まったくありません。
 一年ほど前、ある友人と夫人が、毎夜、心配な思いをしました。不安を感じたのです。その少し前に、父親が亡くなっていました。彼らは、「父親の心魂が何かを告げにきたのだ」と、考えました。彼らは私に相談にきました。彼らの父親は、生きていたときは精神科学にまったく興味がなかったのですが、死んだあと、「精神科学を知りたい」という、激しい欲求を感じたのです。彼らは、私がカッセルで行った「ヨハネ福音書」に関する講義録を亡父に読んで聞かせました。そうすると、父親は深く満足し、死後感じていた多くの不調和から抜け出ることができました。
 その父親というのは、いつも人々に宗教的な説教をしている人でした。それにも関わらず、死後、「ヨハネ福音書」に関する精神科学的な講義録を読んでもらうことによって、やっと満足できたのです。その意味で、この例は注目に値します。
 ですから、私たちが助けることのできる死者は、生前、人智学(アントロポゾフィー)に携わっていた人である必要はありません。もちろん、生前、人智学者だった人に向かって朗読してあげると、特別役立つことができます。」

『ルドルフ・シュタイナー、希望のある読書』2017年8月6日、27回2017年08月06日

『精神科学から見た死後の生』(シュタイナー著 西川隆範訳 風濤社発行)
 「死者との私たち」―「若死にと老齢での死」より

 30歳代は若死になのか。30代は未だ惜しまれる年齢である。宮澤賢治、モーツアルト、名前を上げれば優れた成果を残した多くの人びとが30代で亡くなっている。
 さらに、これから社会を背負う大人になって間もない20歳代の若死にもある。石川啄木は26歳で世去った。
 10歳代、10歳以下の児童、乳児の方がたの死は切ない。その未だ個性が定まらぬ若死に「運命」と一言で言い切るにはあふれる思いを拭い切れない。
 若死には生を全うした老齢の方がたの死とは違うことは確かである。老齢の死は「よく頑張りましたね!!」と喜べる死であると思う。

 以下『精神科学から見た死後の生』の「死者との私たち」―「若死にと老齢での死」(p193~)より引用させていただきます。

「さて、若くして死の扉を通過したか、年老いてから死去したかでは、大きな違いがあります。私たちが愛していた子どもがなくなったか、老人が私たちを残して亡くなったかでは、大きな差異があります。精神界における経験から、その差異をつぎのように述べることができます。
 若い子どもが亡くなったとき、その子どもとの関係は、「精神的に考察すると、私たちはその子を失ってはいない。その子は霊的に、私たちのもとにとどまっている。若くして死んだ子どもは、いつも霊的にここにいるのだ」という言葉で表せます。
 このことについては、さらに詳しくお話ししていきます。「死んだ子どもは、私たちから失われない。私たちは、その子を失わない。その子は、私たちのもとにとどまっている」という言葉を、瞑想の言葉のように、みなさんの心にとどめてほしいと思います。
 年老いて亡くなった人については、逆のことが言えます。「亡くなった老人は私たちを失わない」と、言うことができます。私たちは子どもを失わず、老人は私たちを失いません。老人は亡くなると、精神界への大きな引力を得ることになります。そのことをとおして、亡くなった老人は物質界に働きかける力も有します。ですから亡くなった老人は、私たちに容易に接近できます。私たちのもとにとどまっている子どもの心魂より、老人の心魂は物質界より離れていますが、若くして亡くなって者よりも高次の知覚能力を備えています。
 「年老いて亡くなった人は、地上の心魂のなかに容易に入れる力を有しているために、地上の人間の領域のなかにとどまっている」のです。
 このことを、さらに別の言葉で述べることができます。人間の心魂は、通常の物質界で体験することに関しても、いつも深い感受性を持っているわけではありません。人が亡くなると、私たちは喪に服します。私たちは悲痛を感じます。私は、「私たちの友人が亡くなったとき、人智学(アントロポゾフィー)的な精神科学は、その悲痛に対して慰めの言葉をかけるという課題を持っているのではない」と、話してきました。悲痛は正当なものであり、人間はその悲痛を担っていけるように強くなるべきです。慰めて、悲痛をなくすのではありません。
 通常、人々は若くして亡くなった人に対して感じる悲痛と、年老いて亡くなった人に対して感じる悲痛とを区別していません。しかし、霊的にみると、そこには大きな違いがあります。「自分の子ども、あるいは自分が愛していた少年少女が亡くなると、地上に残った私たちは同情の苦痛を感じる」と、言うことができます。
 子どもは私たちのもとにとどまります。私たちはその子と結びついており、その子は私たちの近くにとどまっています。そのために、その子の苦痛が私たちの心魂に移ります。まだ地上に生きたかった子どもの苦痛を、私たちは感じます。子どもの心魂が、私たちのなかで感じているのです。その子が私たちと感情をともにするのは、いいことです。そうできることによって、その子の苦痛は軽減されます。
 反対に、私たちの両親にしろ友人にしろ、年老いて亡くなった人に対して私たちが感じる苦痛は、「利己的な苦痛だ」と言うことができます。年老いて亡くなった人は、私たちを失いはしません。ですから、年老いて亡くなった人は、若くして亡くなった子どもが有するような感情を持ちません。年老いて亡くなった人は、私たちを失いません。私たちを自分のもとにとどめます。ですから、私たちがその人を失ったと感じる、その苦痛は私たちのみに関するものなのです。それは利己的な苦痛です。子どもが亡くなった場合は、その子の感情を私たちが感じます。年老いて亡くなった人の場合、私たちは自分のために苦痛を感じるのです。
 年老いて亡くなった人に対して感じる利己的な苦痛と、若くして亡くなった人に対して感じる同情の悲痛とを、正確に区別しなければなりません。子どもは私たちのなかに生きつづけ、私たちは子どもが感じることを感じます。年老いて亡くなった人の場合、私たち自身の心魂が悲しんでいるのです。」

『ルドルフ・シュタイナー、希望のある読書』2017年8月7日、28回2017年08月07日

「シラーの頭蓋骨をながめて」(『ゲーテ詩集』(高橋健二訳 新潮文庫)より)

 『ゲーテ詩集』(高橋健二訳 新潮文庫)を読んでいる。シュタイナーが心を深く傾けたゲーテは1749年8月28日フランクフルトで生まれ、1832年3月22日去る。
 「シラーの頭蓋骨をながめて」がゲーテ晩年期の詩作にある。その訳者であるドイツ文学者高橋健二のコメントがあるので取り上げさせていただきました。
 「1826年9月シラーの骨が改葬された際、無二の盟友の頭蓋骨を見て感慨に打たれ、この詩をなした。」(訳者解説より)。
 シュタイナーはシラーの美的教育論に高い賛辞を表明している。
 この「シラーの頭蓋骨をながめて」のなかに、「だが事情に通じた私はそこに書かれた文字を読んだ。その神聖な意味はだれにでも開かれるわけではない。」の2つ文の奥にあるのは何か?お解りの方がいたら教えて下さい。

 『ゲーテ詩集』―「西東詩編からと、その後」―「シラーの頭蓋骨をながめて」(p226~)以下から引用させていただきます。

 「シラーの頭蓋骨をながめて」

 沈痛な納骨堂の中に立って私は
  頭蓋骨が所せまく並んでいるのをながめ、
  星霜ふりし昔のことを思い出した。
 かっては憎み合った人々もひしひしと並び、
  生前互いに命がけで争った硬い骨も
  おとなしくここに互いちがいに並んで憩うている。
 はずれた肩胛骨よ!それが何人のものであったか、
  もはや問うひともいない。みごとなたくましい五体は
  手も足も命のつぎ目からばらばらに離れている。
 疲れたおん身らは地下に横たわっていたのも空しく、
  墓の中に安息を許されず、追われて
  再び白日の世界に上がって来た。
 かっていかほど気高い中身をまもっていたにせよ、
  しゃれこうべを愛するものはない。
  だが事情に通じた私はそこに書かれた文字を読んだ。
 その神聖な意味はだれにでも開かれるわけではない。
  硬ばった骨の群れのさ中に
  並びなくみごとな形を認めた時、
 じめじめと冷たく狭い部屋の中で
  私はのびのびとあたたかさを感じ、さわやかさを覚えた、
  あたかも生命の泉が死からわき出るかのように。
 その形はいかに神秘に満ちて私を魅了したことだろう。
  神の手をしのばせる跡がまざまざと残っていた。
  それをひと目みると、私はかの大海原に運び出された。
 潮みちては、気高き姿を打ちあげるかの大海原へ。
  神託を与える神秘の器よ!
  おん身を手に取上げる値打ちが私にあろうか。
 至高の宝なるおん身をかびの中よりつつましく取去り、
  自由な大気と瞑想を求め、
  日光のもとに恭しく出る時のありがたさよ!
 神性の顕現に接するより以上のものを
  人間は人生において獲得し得ようか。
  あの神性は、硬いものを溶かして精神に変え、
  精神のつくったものをしっかりと保存するのだから。

『ルドルフ・シュタイナー、希望のある読書』2017年8月14日、29回2017年08月14日

ケイト・グリーナウェイ著『遊びの絵本』より

 R・シュタイナー著『カルマの形成』(西川隆範訳、イザラ書房)を読み始めている。この『カルマの形成』は少し時間をかけて読んでいきたいと思っている。
 そこで、感性の流れに応じた読書も取り入れていきたい。
 さいたま市北図書館でケイト・グリーナウェイの作品を借りてきて読んだ。『遊びの絵本』はその中の一つである。

 ケイト・グリーナウェイ(1846年~1901年)は、19世紀イギリスの個性的な絵本作家として、今も人気がある。その同時代のイギリス絵本作家にはウォルター・クレイン、ランドルフ・コールデコットがいる。
 ケイト・グリーナウェイにちなんでケイト・グリーナウェイ賞が、1956年に英国図書館協会によって設立されて、今、世界的に活躍する多数の絵本作家を生み出している。
 なお、1938年にコールデコット賞がアメリカで生まれている。アメリカ児童図書館協会がイギリスのランドルフ・コールデコットを記念して創設した優れた絵本に毎年授与している賞である。ちなみに1922年に開設されたニューベリー賞は優れた児童文学の著者に与えられる賞である。コールデコット賞はニューベリー賞と共にアメリカで最も権威のある児童書賞である。 、
 ウォルター・クレインは絵本だけではなく、装飾芸術の分野にも関わり、デザインの父で社会主義者のウィリアム・モリスに繋がっていて、社会主義運動にも関わっている。
 19世紀イギリスのビクトリア女王時代(1837年~1901年)は産業革命の成熟期で、イギリス経済は絶頂期であった。そのような時代背景の中からセピアカラーを彩るイギリス絵本の秀作が生み出されたのである。セピア色に懐古されるビクトリア朝の古き良き時代の子供たちやファミリーのスタイルを描き上げた女性絵本作家ケイト・グリーナウェイは気品あるイギリス人を描出している。
 ケイト・グリーナウェイの主な作品は『窓の下で』(1878年)、『マザーグース』(1881年)、『マリーゴールド・ガーデン』(1885年)、『遊びの絵本』(1889年)、他多数ある。

 ケイト・グリーナウェイ著『遊びの絵本』(岸田衿子訳、立風書房)の世界に目を入れると、日本でも行われてきた懐かしい遊びがたくさん出てきた。知らなかった遊びもある。この絵本に出てくる遊びをページ順にひろいだしてみた。80ほどある。

 場所取り遊び「たたされ猫」、「コマまわし」、「おはなし作り」、「Aのつく人大好き」、「クリスマスの紙袋」、「土と空気と火と水」、「シーソー」、「ビー玉遊び」、「ティー・ポット」、「20の質問」、
 「かわりオニ」、「何に似てる?」、「色遊び」、「木にさわれ」、「スリッパをさがせ」、「ごろ合わせ」、「羽遊び」、「絵を当てよう」、「木皿まわし」、「どんなふうに、いつ、どこで」、
 「羽根つき」、「クワの木」、「手をあげて」、「羊飼いと狼」、「かごを持っているよ」、「音楽椅子とり」、「トム・ディドラーの地所」、「石けり」、「輪さがし」、「お城の王様」、
 「きつねとめんどり」、「ことわざ遊び」、「まんなかのカエル」、「オレンジとレモン」、「だんまり言葉さがし(韻あわせ)」、「うしろのハンカチ」、「名詞遊び」、「漁師と魚」、「ブランコ」、「輪まわし」、
 「魔法の音楽」、「形容詞あそび」、「ロシア風ウワサ遊び」、「悔いあらための椅子」、「ハンカチ投げ」、「めくらオニ」、「タコあげ」、「ことばの当てっこ」、「先生」、「ことばかくし」、
 「老兵あそび」、「裁判官と陪審員」、「かくれオニ」、「ボール遊び」、「帽子あそび」、「本遊び」、「おかしな絵」、「フランス軍とイギリス軍」、「声色ごっこ」、「シャボン玉」、
 「人形」、「見るおしゃべり」、「椅子とり」、「ローソクを消せ」、「影あそび」、「それはなんですか?」、「あの子につづけ」、「メアリが乳しぼりにいく時」、「笛の騎士」、「ことわざ当て」、
 「バズ」、「なわとび」、「アン女王と侍女」、「ゼネラル・ポスト」、「ゆびぬきかくし」、「ファミリー・コーチ(家族馬車)」、「言葉づくり」、「ルースとジェイコブ」、「魔法のこたえ」、「チリンチリン」。

『ルドルフ・シュタイナー、希望のある読書』2017年8月15日、30回2017年08月15日

『クリスティーナ・ロセッティ詩抄』童謡―「風」(入江直佑訳、岩波文庫p115より)

 「風」     

 誰が一體 風を見た。
  私もあなたも見たことないが
 枝の垂葉がゆれるとき
  風が通つてゐるのです。

 誰が一體 風を見た。
  あなたも私も見たことないが
 梢がお辞儀をするときは
  風が渡ってゐるのです。
              
 『カルマの形成』(R・シュタイナー著 西川隆範訳 イザラ書房発行)読書の合間に、今回、表題の『クリスティーナ・ロセッティ詩抄』(入江直佑訳、岩波文庫)を読んだ。
 19世紀イギリスのビクトリア朝時代を生きた閨秀詩人クリスティーナ・ロセッティの詩はいとしくて美しい。前回取り上げた絵本作家ケイト・グリーナウェイより年長だが、重なった時代を共に生き、影響しあっている。
 日本でも大正時代には北原白秋や西條八十らがクリスティーナ・ロセッティの詩に心を寄せていた。
 下記、大正10年、西條八十訳詩、草川信作曲 「風」を掲載させていただいた。
 
 誰(だれ)が風を 見たでしょう
 僕(ぼく)もあなたも 見やしない
 けれど木(こ)の葉を 顫(ふる)わせて
 風は通りぬけてゆく

 誰が風を 見たでしょう
 あなたも僕も 見やしない
 けれど樹立(こだち)が 頭をさげて
 風は通りすぎてゆく

 ユーチューブより『風』[誰が風を見たでしょう]、フォレスタ歌唱。
 下記、リンクさせていただきました。
 https://www.youtube.com/watch?v=ndvKIHLJyNI

 今日8月15日は終戦の日。平和への思いをつよく祈る。戦争の無い社会を求めて、人間のエゴイズム克服を希求していきたい。

『ルドルフ・シュタイナー、希望のある読書』2017年8月20日、31回2017年08月20日

瀬田貞二著『絵本論』をみる

 R・シュタイナー著『カルマの形成』(西川隆範訳、イザラ書房)の読書を推し進めながら、多様な読書を試みている。
 
 瀬田貞二著『絵本論』(福音館書店)に目を入れている。
 「絵本に出あう」―「ひとの最初に出あう本」(p34~36)を下記に抜粋させていただきました。

 「……幼いこどもたちは、成長することを仕事にしています。のびのびと成長していく本能にかられて、動きたい、休みたい、愛したい、認められたい、成しとげたいという、体いっぱいの意欲にふくらんでいます。そして本能的な意欲は、楽しみたいという欲求の形になってほどばしります。心身が火だるまのようになって遊ぶことは、その一つのあらわれです。そして、お母さんの読んでくれる物語に耳をかたむけながら、くりひろげられる美しいリズムのある絵に見いること、つまり絵本を「読む」ことも、その一つです。
 だから幼い子たちの絵本のなかに求めているものは、自分を成長させるものを、楽しみのうちにあくなく摂取していくことです。そして、これまでの限られた経験を、もう一度確認して身につけていく働きや、自分の限られた経験を破って知らない遠方へ――活発な空想力に助けられて、解放されていく働きを、絵本がじゅうぶんにみたしてくれることを求めます。いいかえれば、小さい子たちが絵本に求めているのは、生きた冒険なのです。絵本は、手にとれる冒険の世界にほかなりません。
 ところで、子どもの成長には段階があって、二、三歳のころ、四、五歳のころ、小学校一、二年のころ、三、四年のころと、子どもの経験や知識の幅がちがい、理解力や興味にずいぶん開きがあることはいうまでもありません。子ども全体の発達をみても、幼児期、少年期、思春期と大まかな三段階のそれぞれが、特有な感じ方と考え方をあつかっていることは、おわかりだと思います。絵本の年代は、ほぼ二歳から十歳ごろで、このころを一括して、最初の本「絵本」がふさわしいとしても、この時代のなかでさらにまたいく段階かの子どもの成長のプロセスがあり、したがってまた、絵本にそれぞれの段階にふさわしい種類が考えられるわけです。
 それでも、まとめていえば絵本のふさわしい年代の子どもたちは、まだ揺籃期のひきつづきのように、感覚の全部を動員して一途に絵本の語るふしぎな物語も世界へ没入していけますし、それだけに、絵本の絵は大人におけるように美的造型の基準に照らしてさばくわけにはいきません。絵本の絵は物語るという意味の面が、より強く尊重されなければならず、また感覚的に子どもに親しまれる活気やリズム、動きということが、子どもをひきつける最大の要素になってくるのです。つまり、子どものための絵本は、大人の趣味とは別な、子どもの好みと密着したところで成り立つわけで、そのことは絵と一体となす文章のほうにも、同様にいえるのです。物語の構成と展開の大胆な動き、言葉の目に見えるような明確さと単純なあしらい、またひびき。それらが子どもの心をとらえなければ、ひっきょう、子どもとは縁のない文学にすぎないでしょう。そして、文章のすばらしさが、じゅうぶんすきのない可視的な一つの世界を表現し、絵のすばらしさがその世界を百倍も千倍も生き生きとくみあげて、ここに完璧な魅力のある絵本が、一体として、子どもたちの眼前におかれるのです。……」

 この上記の文章は、瀬田貞二さんの絵本論のページをめくり、最初の章の一部分です。子どもと絵本の関係はもちろん、それだけではない大人と絵本の関係をも深く考えるきっかけに繋がりました。子どもだけではない大人にも、特に高齢者にも絵本は大切です。