『ルドルフ・シュタイナー、希望のある読書』2018年6月11日(月)52回2018年06月11日

 R・シュタイナー著『シュタイナーのカルマ論―カルマの開示』(高橋巌訳、春秋社)を読みながら、この書のp114「内面への道」で取り上げられている「マイスター・エックハルトやヨハネス・タウラーのような中世の神秘家たちの言葉」を探し求めて、さいたま市図書館で彼らの著作を調べました。その結果「宗教改革著作集」、「中世思想原点集成16 ドイツ神秘思想」に掲載されていることを知り、本を借りてきて目を入れました。エックハルト、タウラーそしてキリスト教、シュタイナーの奥深さに一瞬触れることが出来たと思いました。
 そしてドイツ生まれで1940年にアメリカに移住した絵本作家夫妻ハンス・アウグスト・レイ及びマーグレット・エリザベス・レイ共作『おさるのジョージ』(『ひとまねこざる』)シリーズを読みました。ほのぼのとした親しみが生まれる絵本です。この作品はTV化され、広く世に知られました。 
 そして、賀川豊彦の書籍全集(全24巻、キリスト新聞社)13、15、16、17、18、19巻を借りてきて目を入れました。14巻がさいたま市図書館には抜けていて無いようです。県立図書館などからの借り出しを要請中です。
 賀川豊彦全集の閲覧目的は、賀川作品にはどのようなものがあるのか。その概要を知ることにあります。ここでは内容には触れず、紹介にとどめます。
 13巻は「中国復興と日本」・「新生活の道標」・「宇宙と人生」・「東洋思想の再吟味」・「人格社会主義の本質」・「宇宙の目的」の6作品が掲載されています。14巻を飛び15巻は、「空中制服」・「傾ける大地」・「一粒の麦」・「柘榴の半片」の4つの散文、いわゆる小説が掲載されています。16巻は、「南風に競うもの」・「海豹の如く」・「東雲は瞬く」の3つの散文小説です。15巻と同様の文章スタイルです。 17・18・19巻も散文小説が収録されています。17巻は「幻の兵舎」・「乳と蜜の流るゝ郷」・「颱風は呼吸する」の三作品。18巻も三作品で「その流域」・「荒野の呼ぶ声」・「第三紀層の上に」。19巻も同様の三作品「小説 キリスト」・「小説 使徒パウロ」・「石の枕を立てゝ」が掲載されています。
 ここにはクリスチャンであり社会運動家である賀川豊彦のもう一つの姿がありました。

 そして当ブログの中心テーマであるルドルフ・シュタイナー、希望のある読書は『シュタイナーのカルマ論―カルマの開示』(高橋巌訳、春秋社)p201「光と愛ー存在の二大要素」について紹介させていただきます。物質の本質とは何か。魂の本質とは何か。そのヒントがこの章を含む第10講「人類進化の未来における自由意志とカルマ」から滲み出ています。

 「光と愛――存在の二大要素
 それでは地球紀におけるこの基礎物質とは、一体どんなものなのでしょうか。神智学はこの問いに対して、次のように答えます――「地上のいかなる物質も、濃縮された光なのだ」。
 物質存在の中で、濃縮された光でないものは、何もありません。ですからこの事実を知っている者にとって、十九世紀の振動理論のように、光よりももっと粗野な観察手段を用いて、光を論じることは無理なのです。光を物質的な何かに還元することはできません。どこかに手をのばして物に触れるとき、常に私たちは濃縮され、圧縮された光と出会っているのです。物質は本質的に光なのです。このように神智学の観点は、すべての物質存在の根底に存するものを、光の中に見ます。人体も、それを物質体として見るかぎりは、光で織りなされたものに他なりません。
 それでは、魂の本質とは何なのでしょうか。同じように神智学の観点から魂の実体を、その本当の基礎存在を知ろうとするのであれば――すべての物質存在が圧縮された光にすぎないように――地上のどれほど異なる魂的現象も、すべては「愛」の様態、「愛」の多様な変形に他ならないのです。ただし愛という言葉を、その根本的な意味において理解してください。どんな魂の働きも、何らかの仕方で変形された愛なのです。
 そこで、人間の内なる部分と外なる部分とが、いわば互いに押し込まれ、組み込まれたとき、その外なる身体部分は光で織りなされ、その内なる魂的部分は愛で織りなされて現れました。事実、愛と光とは、私たちの地上生活上のすべての現象の中で、互いに織りあわされて存在しています。事物を神智学的に理解しようとするのであれば、まず第一に、「どの程度に愛と光とが互いに織りあわされているか」と問わなければなりません。
 愛と光は、すべての地上存在を貫通している二大要素、二大成分です。魂的な地上存在は愛であり、外的な物質的地上存在は光なのです。
 さてしかし、光と愛の両要素は、本来は宇宙進化の壮大な歩みにしたがって、互いに並存しているはずだったのですが、今は一方の要素をもう一方の要素の中へ、光を愛の中へ組み込むための仲介者を必要としています。それは、愛だけに特別な関心を寄せるのではなく、愛の要素の中に光を組み込む力、光を可能なかぎり拡散させ、光を愛の要素の中へ送り込むことができる力でなければなりません。そのような力は、地球紀の力ではありえません。なぜなら、地球はまさに愛の宇宙なのですから。地球は愛をいたるところへ織り込む使命をもっています。ですから、地球と結びついている存在はすべて、愛に由来するものだけに関心をもっているのです。・・・・・・」