『ルドルフ・シュタイナー、希望のある読書』2021年10月5日(火)73回2021年10月05日

 R・シュタイナー著『自由の哲学』(高橋巌訳、ちくま学芸文庫)、今井重孝著『シュタイナー「自由の哲学」入門』(イザラ書房)を読み進めています。今回11回目となります。

 今回から、『自由の哲学』「第二部 自由の現実」に入ります。その最初章「第八章 人生の諸要因」(p157~164)を読ませていただきます。そして、今井重孝著『シュタイナー「自由の哲学」入門』のp52~54を参考文献として併せて読ませていただきます。

 「第八章 人生の諸要因」は比較短い文章です。けれども、シュタイナーの基礎的な哲学用語が出てきます。そのことを押えながら、尚且つ、シュタイナーの文脈の微妙な表現を意識して読んでいこうと思っています。
 この第八章の書き出しは、次の文から始まります。
 「これまでの諸章で獲得できたものを、はじめにもう一度繰り返しておこう。世界は人間の前に多様な個別存在の総計となって現れる。人間もそのような個別存在の一つである。…」

 しばらく、キーワード、キーセンテンスを拾っていきます。
 「知覚内容」、「知覚世界」、「自己知覚」、「知覚内容の一般」、「知覚内容の総計」、「現れ方」、「内的意味」、「全体性の理念」、「関連し合う」、「獲得されたもの」、「理念的性格」、「主観」、「自我」、「客体の対比」、「このような何か」、「思考」、「理念的性格とは概念であり理念である」、「思考ははじめは自己知覚の中に現れる」、「主観的な現れ方」、「自己は思考の助けを借りて、自分を主観として表す」(p157~158)
「自分自身と思考との関係は、われわれの人格の人生課題なのである。この関係を通して、われわれは純粋に理念的存在となり、この関係を通して、自分を思考存在と感じる。」(p158)
 「思考によるそのような関係の確立は認識と呼ばれ、認識によって獲得されたわれわれの自己の状態は、知識と呼ばれる。」(p同)
 「われわれは知覚内容を理念的に、概念を通して自分自身に関係づけるだけではなく、すでに述べたように、感情を通してもそうするのである。したがって概念内容だけで人生を生きるのではない。素朴実在論者は感情を知識の純理念的な要素よりも、もっと現実的な人格の働きであると考えているが、人生をそのように考えることはまったく正しいと言える。」(p158~159)
 「一元論の場合、感情はまだ不完全な現実なのである。それはわれわれに外から与えられたままの存在形式しか持っておらず、もう一つの要因である概念や理念はまだその中に含まれていない。生活の中での感情は、いかなる場合にも、知覚と同じように、常に認識以前に現れる。われわれは自分をまず今在る者と感じる。そして成長するにつれて、漠然と感じられていた自己存在の中に自我の概念が現れてくる。この概念はわれわれにとっては後になって現れてくるが、そもそも感情とは分ち難く結びついている。自我の概念がそのような現れ方をするために、素朴な人は感情の中でこそ現存在が直接現れ、知識の中では間接的にしか現れない、と信じてしまう。したがって感情生活を育成することが何よりも重要だと考える。」(p159)
 「感じることは純粋に個的な行為である。それは下界をわれわれの主観に関係づけ、その関係を単なる主観的な体験の中で表現しようとする。」(p160)
 「人格には別の個的表現もある。人間は思考を通して普遍的な世界のいとなみに参与する。思考を通して純理念的(概念的)に知覚内容を自分に関係づけ、自分を知覚内容に関係づける。そして感情の中では、客体を主観に関係づけるが、しかし意思の場合には逆になる。意思もまた知覚内容なのであるが、それは自我を客体に個的に関係づけることの知覚内容である。意思における純理念的な要因でない部分は、何らかの外界の事物と同様に、単なる知覚対象である。」(p同)
 
 シュタイナーはさらに思考、感情、意思を前提に素朴実在論、感情神秘主義、意思哲学、形而上的実在論について展開します。認識論の基礎的で一般の人でも解かり易い文章になっていると思います。

 そしてこの八章には「●一九一八年の新版のための補遺」が加わっています。
 「思考の本質を観察を通して理解することの難しさは、次の点にある。」で始まる2ページほどの文章である。思考の重要性、感情、意思との関係が展開されている。(p163)
 「けれども本当に思考を生かそうとする人はどんな感情の働きも、どんな意思の自覚も、この思考活動の中にある内的な豊かさや、静かで同時に動的な経験に比較できるようなものを持ち得ないことに気づく。」(p同 中ほど)
 「本質に即した思考に向かう人は、思考そのものの中に感情と意思とを共に見出すのである。感情も意思も、現実の深みの中に存在している。思考から離れて、「単なる」感情と「単なる」意思に向かう人は、感情と意思の真の現実的性格を奪ってしまう。思考を直観的に体験しようとする人は、感情と意思の体験にも適応するであろう。」(p164 中ほど)
 「しかし感情神秘主義と意思形而上学とは、直観的な思考による存在の把握を体験することができない。この両者はあまりにも簡単に、自分が現実の中に立っていると思い込んでいる。そして直観的な思考が感情を持たず、現実から離れて、「抽象的な思索」の中で世界像の冷たい影絵を作っていると思い込んでいる。」(p同)

 R・シュタイナーは考え方は違うが敬愛するエドゥアルト・フォン・ハルトマンの哲学を意識してこの文章を展開していると考える。そして哲学の基本的用語や概念について読者に意識させながら、この『自由の哲学』を示していると思います。
 
 今井重孝先生は自著『シュタイナー「自由の哲学」入門』(イザラ書房)第二節「第二部 自由の現実」― 一、「第八章 人生の諸要因」の中で、『自由の哲学』を俯瞰しながら、書き出しに次のような文章を展開しています。

 「『自由の哲学』の第一部と第二部との関係についてもう一度説明しておきましょう。第一部は「自由の科学」(学問)でした。それに対して第二部が「自由の現実」となっています。第一部では学者・哲学者たちに向けて、従来の哲学者や学者の自由についての考え方に問題があり、それゆえに自由の哲学はまだ成立していないことが指摘されました。その原因の中核を占めているとみられるカント哲学の認識論を批判する筋道を、思考を媒介とした一元論という形で示し。新しい自由の哲学の基盤を整備する作業が行われたのでした。
 第二部では、第一部を受けて、現実世界、実践の世界、生活の世界における「自由の問題を取り上げています。現実の生活世界において自由がいかなる意味をもつかを知るためには、まずは、人生とは何かがわからなければならないでしょう。人間はすべて、現実世界のなかで己の唯一性あるかけがえのない人生を歩んでいきます。では、人間の人生の構成要素は何なのでしょうか。それは思考であり感情であり意思であるとシュタイナーはいうのです。」(p52~53)
 「…思考と感情と意思の関係、知覚と表象の関係、自我と思考・感情・意思の関係といった問題群に対して適切な回答を与えることができるためには、物質科学によって切り開かれた認識の地平のみでは不完全だったのです。それを補うためには、ゲーテ的な認識論による補完が不可欠でした。」(p54)

 そうして、今井先生は、次のように述べて、まとめています。
 「…感情哲学と意思哲学の欠陥が、思考の重要な役割に気づいていないところにあることも明瞭に見えてきます。第八章は、その点について論じられているのです。」(p同)

 R・シュタイナー著『自由の哲学』と今井重孝著『シュタイナー「自由の哲学」入門』。この二書により、哲学という学問の基礎が学べます。
 どうかこの二書を手元に置き、共に、何度でも読みかえしていきましょう。