飯舘村除染作業日記 5月4日(日)14日目2014年05月05日

霊山から黒いフレコンを目にする

今日は日曜日である仕事は無いが5時に起床した。グループの作業者の皆さんと買い物にいく。仕事や日常生活に必要な物資をホームセンターや電気店で探し購入したい。
先週日曜日に月舘花工房・交流館へ立ち寄ったおり、パンフレットや資料をもらってきた。月舘宿舎から15㎞ほど349号・115号を走ると奇岩怪石の山「霊山」がそびえているという。阿武隈山系のゆるやかな稜線の中にそそり立つのでひときわ威容をほこるという。しいたけ原木の大産地である阿武隈山系。その北部の「こなら」はどういう状況だろうか。
そのような思いをいだき、霊山を一目見たいと思った。
午前10時に、4人の仲間と自動車で出かけた。H氏(67)、HR氏(63)、N氏(59)と私の4人。伊達市街方面を目指す途中、霊山に立ち寄ることにした。115号線を相馬市方面に走り、霊山子供村こどもの村入口を入る。こどもの村ではジャズフェスタを開催中。そこを過ぎると「除染作業中」旗が道路沿いに掲げられていた。霊山登山口駐車場まで上がり、駐車した。30分ほどかけて見晴らしの良い宝寿台(岩の上)まで登り、下界を眺めた。
見晴らし良い岩の上から先ず目に映ったのは向かいの山裾にある除染の仮置き場である。数か所の敷地に汚染物質を集めた黒色のフレコン(放射性物質を入れる袋)がまとめられていた。飯舘村と伊達市が接している地域だ。
この日は伊達市郊外から福島市に入り、川俣町のホームセンターと食品マーケットで買い物し、宿舎へ帰った。
霊山から目撃した放射性物質の仮置き場。原発事故が生み出した除染作業。国を挙げての一大事業。余分仕事をやっている。余分なお金を使っている。けれども除染作業も除染事業は単純ではない。失業対策事業として考えると糸口が見えてくるかも知れない。それだけではない。
今このことにあまり踏み込むのは止めておこう。何気なく認識に上がってきたが、少しづつ考えていこう。

飯舘村除染作業日記 5月5日(月) 15日目2014年05月05日

伝える方法

メモを日記風にしてブログに掲載した。
現在進行形でメモを整理してASAHIネットブログにのせることが可能になった。
飯舘村除染活動の内容を適確にわかり易く伝えていくためにはどうしたら良いか。それを大切にして進めていきたい。
 ビジュアルをどうするのか。若狭谷さんに注文を受けている。勤務時間中の写真撮影は現状では難しい。写真スナップは要検討である。

 旭川市から参入しているM社というY建設傘下の2次下請業者の若手の職長が帰省中の為、Y建設責任者が前面で作業者のマネジメントをとる。高齢の60歳過ぎの新人が作業者として大勢いる。その人々へ丁寧に仕事を説明し指示する。作業効率よりも安全性を重視して除染事業を遂行していることが目に入る。人出不足、失業対策事業。そんなことを思った。
天気は降ったり止んだりの天気。薄着だと寒い。上着は雨カッパ着用者が多い。
今日の空間線量は2.75μSv.。本日の私の作業はフレコン作成作業。

飯舘村除染作業日記 5月6日(火) 16日目2014年05月06日

福島に身を置いて思う

朝5時半山の向こうに現れたお日様と光を仰いだ。雲が浮かんでいたが朝の空と自然が輝いていた。晴れた空の下で除染作業をしたい。
飯舘村と月舘宿舎の往復。多くの人々が県外からやってきた。除染作業で賃金をもらう。
除染という仕事について賃金を稼ぐために。福島につくしたい。福島を知りたい。そういう思いが秘められているかどうか。人それぞれかも知れない。全く無いとは言えない。この課題も見続けていきたい。
60歳以上の高齢者の姿を目にするが、働き盛りの40代50代が多い。働いて得た賃金で家計を維持する。賃金単価についても事後触れて行きたい。
土地の空気に包まれた身体と心から発想する。月舘宿舎、飯舘村、その2点間を結ぶ道路と周辺。見渡せる風景、耳に入る小鳥の声、自然のざわめき、風の音、人々の声。他県からの人々、異邦人が押しおしよせてきた。
今日は土取場での除染作業。土取場は山林である。落ち葉をかき、小木を鎌で切り取り、フレコンという黒い袋の入れて詰め、仮置き場に保管する。フレコン袋は直径1.2m高さ1.5mほど。
この放射性物質を保管するフレコン袋の枚数は数えきれない数でしょう。ゼネコンと国会議員が絡んだ利権構造が有るとY氏は強調する。
土取場の空気線量は1.95μSv/h.。朝のKYで確認。Yさんという年配の作業者の方が教えてくれたのは、ここの土壌は267000㏃/kgあるということを。三菱マテイアルの調査だという。

飯舘村除染作業日記 5月7日(水)17日目2014年05月08日

現場作業で資格の必要な仕事

朝5時山の稜線から上がる太陽を拝んだ。5時半に朝食を済ませた。今朝は寒い。月舘宿舎の窓ガラスが曇っていた。室温と外気温に相当の差がある。福島は首都圏よりずっと緯度が高いのだ。作業着を着た。
資料やパンフレット、持ってきた本を読みたいと思うが、作業所と宿舎の生活か余裕を生み出すまでに至っていない。問題意識の整理が追いついていかない。
今日は仕事から帰って来たら勤務表のチェックをしよう。

今日の仕事は農地集草。リーダー(KY作成者)は山梨県アルプス市から来たK氏(46)。乾田の集草をしてフレコンの詰める仕事。共に働くのは茨城県から来たKN氏(60)、千葉県から来たA氏(65)。ユンボ担当者、もう一人若者の5人。ユンボ型クレーンで放射性物質(乾田の表土)の詰まったフレコンを吊って移動させる仕事が発生し、KN氏と若者は他部署へ回った。クレーンの手元作業は玉掛作業の講習教育修了証が必要である。彼らは修了証をもっている。ここでは特別教育修了証が無いと出来ない仕事が多々ある。
様々な現場作業の職種が有り、玉掛作業の修了証もその一つだ。特別教育修了証制度は技能向上や安全対策に役立つと思うが、それ故に現場での学習制度を作るべきではないか。
飯舘村除染等工事は環境省の事業である。国の事業を請け負った施工者である大成・熊谷・東急共同企業体は、除染作業での事故に対しては非常に気を使っている。作業者の服装装備にも一定のルールがあり、それを満たしていないと作業に付くことが出来ない。
作業者の服装装備については1ページ用意して爾後伝えたい。
A氏についてだが、彼は原発災害が発生した2011年秋から除染作業に就いていると語ってくれた。福島市内、二本松市、郡山市の家屋の除染をしてきた。飯館村の除染作業は初めてだという。この2年半を除染作業で暮らしてきたのだ。賃金も飯舘村除染作業に比べると安く日当1万円だったと言う。
除染作業の日当については爾後きちんと書きたいと思う。
今日はフレコンが1000袋(1袋5入り)入庫し、その積み下ろし作業に動員された。放射性物質を詰めて仮保管する袋フレコンが無いと作業がストップする。

飯舘村除染作業日記 5月8日(木)18日目2014年05月08日

月舘宿舎の休食の届出

朝5時からの朝食後、15日から19日まで食事のお休み申請をした。朝食と夕食を月舘宿舎食堂で食べている。指定用紙に該当月日を記入して必要事項に○を記入し、食堂責任者へ提出すればよい。
昼食は1次下請T建設の詰所兼休憩室で摂っている。この休食申請は別途行う必要がある。
代金は朝食昼食夕食とも1食500円である。出来るだけ完食を心掛けている。

買い物リストを作った。月舘宿舎での日常生活で使用する。次の日曜日に購入予定だ。ティッシュペーパー、朱肉、コロコロ交換用、果汁ドリンク、りんご。持ってくるものもリストした。果物用ナイフ、作業ズボン交換用。朱肉は半月に1回提出する出勤表に押印する為だ。4畳半の部屋一人当たり2.25畳の畳を清潔に保つ為に使う。宿舎生活は果実が不足ぎみ。補充したい。
福島県外からやってきた人々はほとんど宿舎生活を送る。2次下請会社によっては民宿を借り切って除染作業に対応しているところもある。宮城県の一部、福島県に接する地域は通勤可能のようだ。福島県内でも会津地方や、中通りの郡山市、二本松市、福島市からの通勤は可能の地区もあるが、遠距離通勤であろう。30㎞からの距離を自動車通勤するのは大変ではないか。飯館村を通る朝夕の車の数が多いのは除染に入る作業者の車があげられるだろう。
今日の任務は八和木地域の農地の剥いだ表土をフレコンに詰める作業である。50袋作った。放射線量はどの位かわからないが、多い数値では無いと言う。調べる方法はないか。M社が放射の測定を請け負っている。
今日のフレコン詰めは疲れた。

飯舘村除染作業日記 5月9日(金)19日目2014年05月10日

フレコン詰め作業

朝5時山の端を登る太陽を窓から拝む。福島県の月舘宿舎を照らす朝日だ。
380人に膨れ上がった前田・八和木地区除染作業所。飯館村全体の除染作業員は800人ほどになるだろうか。6月には2000人体制、今秋には7000人体制で除染作業を行うとJV担当者は入所時の説明していた。
朝礼後、飯舘村八和木地区の乾田に居る。表土を削った土塊をフレコン袋に詰める作業が始まる。空間線量は毎日作業者で確認するが、今日は確認が無かった。この地区の乾田の土の放射能濃度の数値を未だ把握していない。
飯舘村の田園風景は美しい。けれども田んぼや畑に出て田畑を手入れし見守る村民の姿は無い。
本日の作業であるフレコン詰め行程は、K氏と私が円形の鉄枠へフレコン袋をセットする。そのフレコン袋へ、Y氏がユンボ(建設移動機械)で乾田を剥ぎ取った土を入れる。フレコン袋いっぱいに放射性物質に汚染された土が入ったらフレコン袋の口を紐で締めて鉄枠から外す。その時指先と腕に力が必要である。先ず内袋のビニール袋を閉じて、フレコンの黒い外袋の口を鉄枠から外す。閉じて縛る。縛り終えたら、次に鉄枠を抜き出す。1袋1トン(?)ほどの土が詰まったフレコン袋から鉄枠を、Y氏と私が持ち上げて抜き出す。その行程は、指先や腕に力が必要である。次に、その鉄枠に新たなフレコン袋をセットする。鉄枠上端のフレコン袋セットする時フレコンの端を握った中指薬指の皮膚を擦る。バンドエイドやガムテープを接触部に貼り被害を最小化する。鉄枠は50㎏ほどあるが一人で持ち運びが出来ても、フレコン袋から抜き出すことは一人では無理だ。1日50袋ほど作る。
フレコン袋の材質は未だわからない。石油素材であることは確かだが、放射性物質を長期間入れておくに相応しいのか。1枚価格は幾らなのか。
 午後2時半頃雨が降り出した。気温も下がってきた。作業中は汗だくになっていたが、雨に打たれて寒くなってきた。仕事の区切りを付けて、30分早い休憩となった。午後4時空が晴れてきた。フレコン詰め作業を再開した。終了時はさんさんと輝く太陽の中を帰った。日の光の中の飯舘村の田園は緑が濃くなりつつある山々に囲まれて美しいと思った。ただ今は異常な状況であった。原発事故により村民がいない。「美しい村に放射能が降った」為だ。菅野典雄村長の書を思った。
 スクリーニング室の前に長い行列が出来ていた。
退出時、各自身に着けている線量計をパソコンと繋ぎ、被ばく線量値をプリントアウトする。今日の私の線量値は、0.011mSv/9.36h。スクリーニング室について別途触れていきたい。

飯舘村除染作業日記 5月10日(土)19日目2014年05月10日

洗濯機の水、シャワーの湯水が出ない!

今日は土曜日であるが、飯舘村の除染作業は続けられている。
今日は天気が良かったが風が強い一日だった。私はフレコン詰め作業中防水のウインドパーカーを脱がなかった。動き続けていると汗ばむこともあったが、静止の時は寒かった。海抜300~600メートルの中山間地の飯舘村の天気は変化し易いと朝礼時の挨拶でJV担当者が話していた。
乾田の表土を5㎝ほどユンボで剥ぎ取った土をフレコン袋に詰めるのだが、ユンボのバケットが土をすくう時とフレコンに入れる時は、ユンボの半径には入らないこと。風下にはいかないこと。それはKY(危険予知行動表)のテーマになる。それでも風向きは思わん方向に変化する。衣類は土に汚れ、防護メガネの間から目にはいることもある。口の中もうがいしないと不快な感覚である。
農地除染、山林除染、家屋の除染、フレコンの移動等々大勢の作業者が動いている。
仕事を終えて宿舎へ帰ると、洗濯と入浴は、放射能から身体を守る為の必然的行為なのだ。
ところが、宿舎の洗濯機の水が出ない。お風呂のシャワーが出ない。
放射能を含んだ泥に汚れた作業着や汗ばんだ下着の洗濯したい。土埃と汗ばんだ身体を洗いたい。多くの寮生から不満の声が上がった。
今日夕方から夜そのような状況に対面している。
月舘宿舎もずいぶん人が増えた。四畳半の部屋に2人おしこんでいる。私のC-207 2Fは空き部屋が無くなった。
一人部屋を求める寮生が多数である。4畳半の2人だとプライバシーが非常に問題となる。
これは作業者の心身に非常に残酷物語である。

(追記)その後、洗濯機の水、お風呂のシャワーは改善された。急激に増えた宿舎の人々。その日常管理の運営は一筋縄ではいかないことは確かだ。宿舎暮らしの立場からは、自分の家庭と同様に即日常生活に繋がっているから。
 宿舎の管理人にラジオペンチを借りた。そのペンチは自分の所有物を取ってきて貸してくれた。
 その様な一つひとつが大勢の皆さんへの対応と共にある。
 宿舎管理の大変さが覗える。

飯舘村除染作業日記 5月11日(日)20日目2014年05月11日

南相馬市原ノ町火力発電所の煙突が遠望できる海岸。堤防が3.11津波で無残のままである。
南相馬市へ行く

今日は日曜日である。同僚のH氏(67)、HR氏(63)、S氏(60)と共に南相馬市へ車て出かけた。散髪、買い物、友人との交流。それぞれ目的があった。
伊達市月舘町のT建設宿舎から南相馬市役所まで約45㎞、飯舘村役場からだと20㎞ほど。県道12号線を使い浜通りへ向かう。もっとも飯舘村は浜通りに入っているが、四方を美しい落葉樹林がしめる阿武隈山系に囲まれた中山間地である。椎茸原木の優良なコナラがある。
阿武隈山系はコナラの日本の椎茸原木生産量の4から5割りを占めていた。その阿武隈山地の美しい自然が放射能を被った。福島第一原発事故が起こらなければ、原木椎茸生産者はこれほど苦しむことはなかった。原発事故により東日本原木椎茸生産者協議会(代表飯泉孝司)が生まれ東電、国、消費者へ切実な訴えが続いている。
1時間ほどで南相馬市市役所に着く。常磐線原ノ町駅周辺を回り、程よい価格の理髪店に出会う。2名が散髪中、市街のウオッチングへ。国道6号線沿いにある道の駅「南相馬~野馬追の里~」でひばりあんもち(昭和8年創業栄泉堂製造)を買い食す。
散髪を終えた2名をひろい、国道6号線を下り、原ノ町火力発電所を目指した。H氏の友人が居る火力発電所近くの大成建設の宿舎を訪ねる。
その後、火力発電所の煙突を遠方に見ながら、人家やお店、建物が無い広大な一帯を通過し、海岸線へ向かう。波打ち際の防波堤が3.11東日本大震災の津波で破壊された状態のままであった。そこに太平洋の波が打ち寄せていた。思い起こすのは、生協パルシステムの子会社エコサポートの社員旅行で3.11の津波後の、南相馬市原町地域の水田のゴミ拾い活動だ。同じ子会社ジーピーエスから私が参加し、水田から様々な泥にまみえた物を拾い集めた。
それから相馬市街のレストランで遅い昼食。115線を福島市方面に向かう。先週来た霊山の傍を通り、伊達市霊山町の食品店ハッピーフードで夕食材料を買い、隣のホームセンター「コメリ」でティッシュペーパーやコロコロを購入。10時出発、14時半帰寮した。

飯舘村除染作業日記 5月12日(月)21日目2014年05月12日

飯舘村の美しい水の流れと除染ブルース

飯舘村除染の新規作業者への説明で、「までいライフ」の話をJV担当者は挿入した。「飯舘村は美しい」と話した。飯舘村除染を受け持つ担当者としての村民への心情を語っていたと思う。一次下請Y建設W氏も「飯舘は美しい村です」と言っていた。
除染作業で汚れた長靴や工具などは、事業所内の容器の中で洗うことが徹底されている。水道場や路面の上で洗うことは禁止されている。朝礼での注意事項として随時呼び掛けられる。飯舘村の田んぼの中を流れる小川で洗うことは禁止されている。路面の水溜りで洗うことも禁止されている。
  JV担当者、一次下請責任者、職長クラスでは徹底されている。水溜りでスコップを洗おうとした作業者の禁止注意の言葉が飛ぶ場面を目撃した。トイレもトイレカーを用意して、どうしても必要な場合は使用する。そうでない場合は10時、お昼、3時の休憩時間を利用する。野原や山林でのトイレは禁止である。ドリンクも勤務中は原則禁止である。熱中症対策として許可されるケースがある。除染事業は国の税金を投入して行っているから、環境省、JV、一次下請のそれぞれ担当責任者の神経の使いようは細かい。村民の目、市民の目、日本国民の目、マスコミの視線に曝された中で除染作業が進められている。
  除染作業に対して賛否両論様々意見がある。
  仕事を終えて月舘宿舎へ向かう車の中で、「除染ブルースでも作ったらどうか」S氏が言い出した。除染作業に就いていると、悲しみのような情緒に触れることもある。皮肉な思いになることもある。人類の犯した過信。自然に対して深い謝罪。自然の生命に対して償い深い思いを問われているような気もする。「除染ブルース」とは、生命への悲しみとそこを働く場として生きる自らの姿と、突き上げてくる感情の渦の高まりとが重なったポエムようなものなのだろう。
 ブログを投稿してから21時頃シャワーへいく。ところが湯水がでない。
放射能の土塊を洗い流して眠りたい。そう思っている宿舎住民が大半である。今日も宿舎民が入寮してきた。G社だけで6名いる。この宿舎に詰め込み過ぎではないか。「除染ブルース」は怨歌である。

飯舘村除染作業日記 5月13日(火)22日目2014年05月15日

美味しんぼ問題

5月13日今朝は雨模様の空であった。緑の山の頂上には霧が掛かっていたが、雲は途切れながら北方へ向かっていた。
のど風邪でだみ声になっていた。飯舘村の気温の変化は激しい。外の仕事は気温の変化に対応できる用意が必要である。除染作業は多少の雨模様でも遂行してしまう。身体労働は身体を動かしている時は熱くなる。ところが静止している時は寒気を覚える。病気にかかると宿舎生活の大変さがわかる。
飯舘村の五月の晴れた空はすがすがしいが、強風が吹き荒れると寒さを感じる。阿武隈山系の北方に位置する飯館村は高原の中の平地が山裾まで伸びている。自然の養分に満ちている飯舘村の米は美味しそうである。水田(乾田)除染作業をしながら思う。その自然の美しい村に降った放射能の為に、飯館村民は住む家暮らす土地を離れた。
放射能を除去する為除染作業に就くために私たちは飯館村にやってきた。除染業務として賃金をもらっているが、賃金だけではない。JV担当者が飯舘村の心「までいライフ、ゆっくりていねいに」を語った。それは除染作業者が飯舘村除染を真摯に受け止めている表明と呼びかけでもあるだろう。飯館村の心に触れて共に除染作業に向かう。やりがいのある仕事に通じている。
除染に反対している人達もいる。除染に意味を見出さない意見の人達もいる。除染作業中に出くわす昆虫や小さな動物たちが削がれる地面の上や中で驚き動き回る姿は悲壮感がこみ上がる。人間が生きていく上で説明しつくせない。人間は人間の生活を優先する論理だけでははみ出す感覚があることは確かだ。
ビッグコミック「美味しんぼ」で登場人物が「今の福島に住んではいけない」と発言したりする描写が掲載されたことに福島県が反論。小学館に対する福島県の申し入れ全文がコンビニで買った福島民報にけいさいされていた。
僕は除染作業者として福島に心身を置いている。福島に身を置いて五感を踏まえながら感じ、思いめぐらし、考えていきたい。